くまもとじょう ルート 熊本城-旧細川刑部邸
熊本城
地  域 43:熊本/南東C 概要 熊本城は、別名:銀杏城(ぎんなんじょう)と称し、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城です。中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築きました。日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価をされています。明治初年頃までは大半の建物が現存していましたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失しました。清正が築いた石垣は、改修された部分があるもののほぼ創建当初の姿をとどめ、城跡は特別史跡に指定されています。近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われています。
Mapion 熊本県熊本市
標  高
距  離
体力度 ―、Θ
山行日 2010.03.23、(雨)
形  態 日帰自、3名
時  間
アクセス 自家用車、12:30
備  考 特に問題なし
山悠遊-熊本/熊本
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
旧細川刑部邸
熊本城の三の丸に移築復元された全国有数の上級武士の屋敷。
大玄関から母屋、客間、書院へと続き、当時の武家屋敷としては珍しい木造二階建の「春松閣」と呼ばれる間、広々とした庭園を備える
二の丸広場から西出丸の長塀
二の丸広場から太鼓櫓通路からの西出丸の長塀
西大手門内側広場からの宇土櫓
西大手門の内側
西出丸の長塀、黒い縦筋は石の控柱、壁と石柱をつなぐ腕木の上に足場板を乗せ外敵の襲来に備えた
頬当御門、冠木門、櫓は宇土櫓の南隅櫓
清正は特に石垣造りを得意とし、熊本城では、始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状の石垣を多用
二様の石垣越しの天守
阿蘇山の山行を予定していたのですが、あいにくの雨、予備の行程としてあった熊本城を拝観することに。案内所に立ち寄ると無料ガイドをしてくれるという。是非にとお願いして、城談義をしながらの楽しい登城です・・・・
手前右の石垣は緩く古い時代のもの、左の石垣は新しい時代で急
桜に包まれた宇土櫓
天守と新御殿(手前)
清正は朝鮮出兵で水に苦労したためか井戸が多い
本丸御殿
本丸御殿大広間(復元)、障壁画、格天井
本丸御殿からの市街地(南側)
本丸御殿大広間(復元)
本丸御殿の最深部には、中国の故事に出てくる王昭君の絵画(襖絵とも屏風絵ともいわれる)のある「昭君之間」と呼ばれる部屋があった。この部屋には鶯張りの廊下や外へと通じる隠し通路があったといい、藩主の居間として使われていたようだが、一説によると、豊臣家の有事に際し秀吉の子秀頼を密かに匿うために造られた部屋であるといわれている。(wikipedia)
本丸南階段下からの天守
天守東南側、天守はコンクリート造で外観復元、内部は博物館
天守東側
天守南西側
天守南側見上げ
天守西側の側面
宇土櫓の長塀と控え柱、腕木の上に足場板を渡し応戦
本丸からの宇土櫓、南東側
宇土櫓の南隅櫓
宇土櫓から見る天守:西側
宇土櫓から見る西出丸
宇土櫓(重文):西側
宇土櫓:北側と南側空濠、奥に天守
西出丸、西大手門と長塀
天守北側空濠
戌亥櫓の奥に宇土櫓と天守
二の丸広場からの西出丸の長塀、奥に天守
天守は連結式望楼型、大天守は3重6階地下1階、「一の天守」とも呼ばれる。小天守は3重4階地下1階、「二の天守」とも呼ばれ、御上(おうえ)という夫人のための建物。
天守台から少し張り出す「張出造(はりだしづくり)」で、張り出し部分には石落しが設置
五階櫓の中でも「三の天守」とも呼ばれる宇土櫓(うとやぐら)は、3重5階地下1階で、熊本城では最大の櫓です。最上階に外廻縁を持つ。清正の創建した初代天守ではないかという見方もある。
各天守について以下のような区別があります
  現存天守:城が存城当時に建てられたものが野外において保存され、現在も存在が確認
   (国宝天守の他に8城)弘前城・丸岡城・備中松山城・松江城丸亀城・松山城・宇和島城・高知城
  現存しない天守:現在では建物はないが、指図・絵画資料・文献・遺構・古写真の何れかがあり
    存在した当時の様子が覗える資料が現存するもの。伝説・伝承のみのものは含まず
  外観復元天守:文献・絵図・絵画資料・古写真を元に外観を復元したもの
    鉄筋鉄骨コンクリートなどで、外観のみをほぼ以前の姿に復したもの
  木造復元天守:文献・絵図・絵画資料・古写真・遺構などを元に当時の工法・構法を用いて忠実
    に復元したもの
  復興天守:旧来建てられていた建物を参考に、または、想像して建てられたもの
  模擬天守:史実では存在が確認できないまたは、特定に至らない状態で建てられたもの
  天守閣風建築物:「城」・「天守閣」などを含む正式名称を持つもの
    または、正式に天守を模した外観であるもの
熊本城は、このうちの外観復元天守に該当します。1960年復元

                                   (Wikipedia を基に編集)
日本の三名城
  名古屋城・姫路城・熊本城
設計者による三名城
  名古屋城・大阪城・熊本城
防御による三名城
  大阪城・熊本城・名古屋城
天守による三名城
  名古屋城・姫路城・熊本城
などの他
  松本城・姫路城・熊本城
等の分類があるようです
現存国宝天守(4城)
  姫路城・松本城・彦根城・犬山城
井戸
中庭
広間靴脱ぎと手水
茶亭
玄関
長屋門
入口の門
玄関
春松閣(銀之間)
春松閣(銀之間)
春松閣(銀之間)の縁側にある手水鉢
春松閣(銀之間)の縁側にある手水鉢
厠の手水
湯殿
台所
旧細川刑部邸(きゅうほそかわぎょうぶてい)は、熊本城三の丸跡にある武家屋敷。細川刑部家(子飼細川とも言う)は、細川内膳家(砂取細川)と並ぶ細川藩の一門家臣家(いずれも江戸期は長岡姓)でありました。、1993年に現在地に移築されました。(wikipedia)
旧細川刑部邸 平面図
(入場時に受領した拝観パンフレットから)
●手水鉢
手水鉢●
井戸
中庭
春松閣(2階縦の部分)