山悠遊-備中高梁
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
らいきゅうじ ルート P(16:20)〜頼久寺(16:20/16:50)
                    〜P(16:50)
頼久寺
地  域 33:高梁/北東SE 概要 頼久寺は、臨済宗永源寺派の寺院。山号は天柱山。本尊は聖観世音菩薩。備中西国第五番札所、瀬戸内観音霊場第十三番札所となっています。起源不詳。暦応2年(1339)、足利尊氏により再興され、備中国の安国寺とされました。当時、中国より帰国した寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とされます。関ヶ原の戦いで東軍についた功により小堀正次が備中国1万4千石に封じられ、慶長9年(1604)に逝去したため子の政一(小堀遠州)が遺領を継ぎました。この頃の備中松山城は備中兵乱後で荒廃していたため、政一は頼久寺を仮の居館とし、元和5年(1619)の移封までここで過ごしました。境内の庭園はこの頃の政一(遠州)により作庭されたもので、蓬莱式枯山水庭園です。このような築庭様式は、安土桃山時代から江戸初期にかけて盛んだったもので、現在まで当時に近い状態で保存されているのは貴重で、国の名勝に指定。
Mapion 岡山県高梁市頼久寺町
標  高 90m/80m=10m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2014.04.07、(晴)
形  態 前泊、2名
時  間 所要00:30/歩行00:10
アクセス 自家用車、04:30
備  考 特に問題なし
武家屋敷長屋門、頼久寺から0.1km北寄りにある
西念勧進による石灯籠、歴応2年(1339)
この灯籠は、竿が円形になっていますが、基礎・中台・火袋・笠は四角で、形式としては四角形に分類されるものです。石材は花崗岩で、総高148pで、竿は三節になり、中節をはさんで、その上下に「暦応第二 十二月日沙弥西念」と刻まれています。中台、火袋、笠は別のものからの転用で、それぞれの年代が違い、寄せ灯籠といわれるもので原型は不明とか。遠州好みと言われています。
書院前庭園
蓬莱式枯山水庭園:愛宕山を借景に白敷砂の中央に鶴島、後方に亀島の2つの低い築山状の島を置いて石を組み、書院左手の山畔に沿ってサツキの大刈込みで青海波を表現している。このような築庭様式は、安土桃山時代から江戸初期にかけて盛んだったもので、現在まで当時に近い状態で保存されているのは貴重であるとされ、国の名勝に指定されました。
愛宕山
  ↓
鶴亀の庭園、愛宕山を借景とする
鶴島
亀島
武家屋敷(旧折井家)
Mapion 岡山県高梁市石火矢町
旧折井家は天保年間(1830〜1844)に、官舎と役所を兼ねていた住居を再現したもので、武家屋敷館として公開されています。漆喰の壁の屋敷には、俸禄百六十石の馬まわり役についていた武士が住んでいたそうです。
臥牛山麓から南に250mにわたって延びる武家屋敷通りの両側に白い土塀が続き、明治維新以後130年以上になる現在も往時の面影を色濃くとどめています。この町並みと紺屋川筋の美観地区が『石火矢町ふるさと村』として町並み保存されています。映画『男はつらいよ』のロケ地にもなった町並みです。
書院に坐して
臥牛山山系
  ↓
庭園
境内、正面に薬師堂
庫裡/鐘楼
本堂・書院
薬師堂
山門
山門門紀行 はこちらから
山門背面パノラマ
本堂・庫裡パノラマ
武家屋敷周辺の町並み、インク画でレタッチしてみました
書院前庭園、サツキの青海波、石畳、波紋
門紀行 はこちらから
まるで城壁のような土塀と石垣に圧倒されました
ここまで防御力が高いお寺は、この規模にしては類を見ない規模です
風聞によると、戦の際に軍事的な役目を荷っていた為に、こんな造りになってるらしいです
山門パノラマ
階段参道
山聲-TOP