なまこ壁の塀と水路の鯉
養老館
つわのじょうし ルート 山麓駐車場(15:30)〜出丸〜太鼓櫓〜天守台
〜三十間台〜三の丸〜山麓駐車場(17:40)/
宿(09:00)〜永明寺〜聖堂〜鴎外記念館(13:30)
津和野城址
地  域 32:津和野/南西N 概要 山陰の小京都と称せられる津和野は、山深き城下町です。市街地の西にある津和野城址は別名:三本松城とも呼ばれ、城址から津和野の市街地を一望できる高台にあります。創建は鎌倉時代で、戦国期には毛利氏が領しました。関ヶ原の戦いにより坂崎直盛が3万石で入場し、城の大改修が行われています。1616年の大阪夏の陣で、かの千姫事件で自害し、改易となり、後に亀井氏が入城、11代続き明治維新まで居城しました。天守は1686年に落雷に会い消失、以後再建されることはありませんでした。明治の廃藩置県により廃城。今では石垣と多くの曲輪跡が往時を偲ぶよすがとなっています。山麓の藩校養老館前の道路は街路整備され、鯉が泳ぐ水路が観光客を立ち止まらせています。また、文豪森鴎外に関わる史蹟や日本五大稲荷の一つで、日本で唯一「稲成」と表記される太鼓谷稲成神社、永明寺、乙女峠マリア聖堂などの見どころがあります。
Mapion 島根県津和野町
標  高 350m/160m=190m
距  離 約4.0km、斜度:max21゜
体力度 18P、☆
山行日 2011..04.17-18、(晴-雨)
形  態 後泊、3名
時  間 所要02:00/歩行02:00
アクセス 自家用車、08:00
備  考 クマ出没注意
津和野城址
  ↓
三の丸
 ↓
人質郭
 ↓
太鼓丸
  ↓
三十間台
  ↓
南門櫓石垣
人質郭
三の丸からの三十間台
津和野城の数ある石垣遺構の中でもひときわ
目を引くのがこの人質郭の石垣
三の丸
三十間台からの東側パノラマ
三十間台から東側展望
三十間台からの太鼓谷稲成神社俯瞰
人影が消えたメインストリート
津和野藩家老多胡家表門
天守台
天守台からみた馬立場、奥に台所
台所への三段櫓
開版(かいぱん) 
魚ぱん(かいぱん)、魚鼓とも呼ばれます
叢林(そうりん:寺院;特に、禅寺)における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をした法器のことで、木魚の原形となっているものです
魚は不眠不休でいるところから
怠惰を戒めるためにこれを叩く」そうです
雲版(うんぱん)
雲の形をしている青銅製の打ち物です
朝と昼の食事と朝課の時に打ちならされます
3列の石畳は台所の側溝
永明寺は応永27年(1420年)に津和野城主吉見頼弘によって創建され、月因性初禅師を開山とした。島根県最古の禅寺といわれていますが、近畿地方の寺と比べれば、永明寺の創建、開山はかなり新しい。とは言っても、江戸時代には石見地方一帯の禅寺を統括していたとされており、由緒ある寺です。
山門
全景
人質櫓と三の丸、左後ろは天守台
本丸縄張り図(現地看板)
津和野駅プラットフォーム
駅名版には「乃わつ」の文字
城下町
カヤぶき屋根の本堂
森鴎外記念館の北側にある津和野川左岸からの津和野城址
大手道登山口
大手道分岐
三十間台から津和野市街地西側を展望
太鼓丸から三十間台の石垣
太鼓谷稲成神社、標高:210m
三か月前から日程調整をしてようやくとれた休暇。
その間に、あの東日本大震災。自粛ムードが覆うなか思案の末の訪問。有数の観光地である津和野ですが訪問者はかなりの減少だとか。おかげでカメラフレームから覗く人影もまばら・・・・
この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)
数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)
および基盤地図情報を使用して作成しています。(承認番号 平25情使 第539号)
表示測地系:WGS84、経緯度線@10''(緯線:1間0.3km・経線:1間0.25km、斜め≒0.4km)
永明寺(ようめいじ)
森鴎外記念館から津和野城址石垣を望遠
南門櫓跡
三十間台からの三の丸、南側展望。手前の石垣は人質郭跡
坂崎氏取り潰しの後には、亀井氏(茲矩・政矩)が因幡・鹿野城から津和野に入封し明治期まで続
きます。茲矩は尼子氏の旧臣。尼子氏滅亡後も、かの山中幸盛(鹿之介)らと主家再興のために
ゲリラ戦を展開、後に豊臣氏に仕えます。
鹿野城主時代には湖山池干拓、銀山開発などで高い行政手腕を発揮していました。
三十間台から北側展望
三十間台
天守台から太鼓丸へ
三十間台からの太鼓丸
出丸
出丸石垣、標高:350m
津和野城址山麓屋敷跡、標高:160m
三十間台からの三の丸
手前に張り出しているのが人質郭跡
三十間台からの太鼓丸
稲成登山口、標高:210m
千姫事件
津和野城主であった坂崎直盛は、大阪夏の陣で、家康の孫で豊臣秀頼に嫁いでいた千姫を救出
するという大手柄を立てたが改易。嘘か誠か、この千姫救出に際し、「千姫の命を救った者がいたら、彼女を嫁にやろう」と言う約束だったにもかかわらず、千姫が坂崎直盛を嫌い、彼女は本多忠利と再婚することに。怒った坂崎直盛は、輿入れの行列を襲撃し、逮捕されるという・・・・。
山悠遊-島根/津和野
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
坂崎出羽守の墓
森鴎外(森林太郎)の墓
乙女峠のマリア聖堂
マリア聖堂
織部灯篭
笠の部分がなくなっている
上部の掘り込みは
「IHS」が
縦向きに刻まれています