山悠遊-島根出雲
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
透かし塀
雪隠及び腰掛待合付中門(中露地:茶室側)
明々庵南側全景、4畳半席貴人口
躙口(にじりぐち)前にかかる土庇(つちびさし)
切妻部に掛かる扁額「明々庵」:松平不昧直筆(創建当時のもの)
明々庵全景
井戸側と灯篭
露地門
城見台からの松江城天守
城見台からの松江城
階段踊場側桁擬宝珠(ぎぼし)
明々庵入口階段
めいめいあん ルート P(12:00)〜明々庵(12:25/13:05)〜P(13:30)
明々庵
地  域 32:松江/北西E 概要 茶人としても知られる松江藩第7代当主:松平不昧(松平治郷によって、安永8年(1779)に家老有沢弌善のために殿町にある彼の邸内に建てた茶室を主とする庵です。その後、東京の松平伯邸に移築、昭和3年(1928)に松平家から郷国出雲に返され、菅田庵に隣接した萩の台に再移築。昭和41年(1966)に不昧150年忌を記念して、松江城を望むことができる現在地に再々移築され現在に至ります。入母屋造茅葺き屋根、妻にあがる「明々庵」の扁額は松平不昧直筆。2畳半台目茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合わせた奥行きの浅い床で、また茶席は、中柱もなく炉も向切りといった軽快なものとなっています。 島根県の指定文化財。ちなみに治郷によって築かれた茶室は菅田菴(重要文化財)が現存(現在工事非公開)します。和菓子も、治郷が茶人として活躍するに伴い、銘品(山川、若草など)と呼ばれるようになる物が数多く生まれました。
Mapion 島根県松江市北堀町
標  高 20m/10m=10m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2013.09.25、(雨)
形  態 前後泊、3名
時  間 所要01:30/歩行01:00
アクセス 自家用車、07:00
備  考 特に問題なし
「明々庵」命名の出典は不明ですが、「目の前に見えているものには真実が現れていること」ではないかと思います。「明歴々露堂々(出典:五灯会元)」という言葉があります。歴々と明らかで、堂々と露(あらわ)れているの意。すなわち、一点も覆い隠すことなく、あらわれていることです。
類似語に「明々歴々露堂々」に通ずるので参考にあげました。
茶室建設は、安永8年(1779)、松平治郷(不昧)29歳の時のもの。
床の間に掛かる「明々庵」の掛軸には、「安永8年己亥不昧書 印」と記載があります。
レプリカでしょうか、こんな環境の悪いところに、本物がかかるはずはないとは思いますが・・・・。
茶室内部(二畳台目下座床)
躙口(にじりぐち)
土庇土間面と躙口(にじりぐち)
土庇(つちびさし)、躙口(にじりぐち)と刀掛け
蹲(つくばい)と灯篭
雪隠及び腰掛待合付中門(表露地側)
灯籠
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