山悠遊-京都洛西
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
たかお/じんごじ ルート 嵯峨嵐山駅(08:20)〜京見峠〜R162出合(10:35)
〜高雄橋(10:50)〜神護寺(11:00/11:40)
〜高山寺前・清滝・落合橋〜保津峡駅(15:40)
高雄/神護寺
地  域 26:京都西北部/北西E 概要 高雄の三寺(高雄神護寺、槙尾西明寺、栂尾高山寺)の一つ神護寺は紅葉で有名です。天長元年(824)に、和気清磨呂が河内にあった神願寺と、この地にあった高雄山寺を合併して、神護寺と称したのが始まりとされています。比叡山の最澄や空海をこの寺に招いて活躍の場とされました。ことに、809年から14年の間、唐から帰朝した空海が住持し、真言宗立教の基礎を築いた所でもあります。神護寺参道の石段は、とても長くきついものですが、紅葉・そして西の地蔵院からの錦雲峡の眺めは絶景といわれています。この地蔵院の展望台からは、かわらけを投げて厄除け祈願をする善男善女が歓声をあげています。鎌倉時代に災難で荒廃した寺を文覚上人によって再興。しかし、応仁の乱などの度重なる災いにて、多くの堂宇を消失し、江戸時代に所司代板倉勝重の奉行によって一部を再興、金堂と多宝塔は昭和9年の造営になるものです。
Mapion 京都市右京区
標  高 220m/110m=110m
距  離 約1.5km
体力度 8P、☆
山行日 2006.11.29、(晴・曇)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要01:00/歩行01:00
アクセス 公共交通・徒歩、03:50
備  考 長い石段あり
山聲-TOP
山門(楼門)の裏側:境内側

※本写真は楼門の特徴である
2階部分が暗かったので
大幅なトーン調整をしています
実際の色彩とは異なります
急ぎ足の散策でした
急な石段を降り
これから高山寺に向かい
清滝川を保津峡までの
約8kmを歩いて下ります
R162:周山街道からの入口
「高雄山神護寺」の石碑
周山街道から標高差約40mを
だらだら坂で降ります
斜面一帯がカエデの木で覆われています
落ち葉のほうが多いように感じます
高雄橋まで下ってきました
平日なので人は少なめのようです、橋の上の人通りが
少しでも少ないときをとねばったのですが・・・・
高雄橋から清滝川の上流を眺めています
神護寺参道入口、右の石柱は「下乗」石です
極端なトーン調整をしましたが
残念ながら文字が見えません
古いものだそうで後世のものも
これを受け継いでいるとか・・・・
硯石(すずりいし)、木札には
「空海弘法大師が神護寺に在山の時、勅願の依頼を受けられたが、五月雨で橋が流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ、見事に「金剛定寺」の四文字をかかれたという。ただしこの寺は現存していない」とあります
硯石脇からの周山街道入口遠望
急な階段をそれぞれの目的で登ってゆく・・・・
山門(楼門)
石段を仰ぐと二天門が
目の前に現れます
神護寺本坊
門の外にあります
楼門を額縁にして
境内を覗きます
増長天像
持国天像
山門を入り広い境内を見渡します
いわゆる白州です
右の白い建物は宝蔵です
山門を入ると右側に書院があります
築地塀つきの
平から門(ひらからもん)のある
大きな施設です
鐘楼、日本三名鐘のひとつに数えられています
「銘の神護寺、形の宇治平等院、音の三井寺」
和気清麻呂公霊廟
廟所の石碑と明王堂
毘沙門堂(左)・五大堂(右の堂宇)
なお大師堂(重文)は毘沙門堂裏にあります
金堂への石段
金堂(昭和9年竣工、10年落慶)
神護寺内の最大の建物
本尊は木造薬師如来立像(国宝)

このカット(正面から人をはずす)
を撮るのに時間がかかりました
前に立っているおばちゃんが
後でカメラを構えて立っている
編集子の存在を知りながら
どいてくれないのです(もちろん
ドイテとは言えません)、ジッと
我慢の10分でした、シビレを
切らして撮影できたのがこれ
これも修行のうちでしょうか・・・・
山頂標識前でも宴会をしたり
ザックを置くなど目をしかめることが時々ありますよネ・・・・
金堂の側面
紅葉につつまれた金堂の側面
金堂は一般に言うところの
寺院の本堂にあたります
堂内を金色にするところから
この呼び方をされる
といわれる説があります
紅葉に包まれた多宝塔
金堂の左横の紅葉多宝塔の相輪が覗いています
多宝塔を石段下から見上げます
多宝塔(昭和9年竣工、10年落慶)
閼伽井(あかい)
弘法大師により、灌頂伝授のために
掘られたとものと伝えられています
地蔵院脇の紅葉
地蔵院
地蔵院前の庭園のカエデ、もうほとんど落葉
かわらけ投げに興じる人たち
神護寺では厄祓いとしてこのかわらけ投げを
されています
高い所から物を投げてみたいという欲望は
誰しもあるもの、人の心理を巧くついています・・・・
かわらけ投げの場所からの眺望
天下の絶景とうたわれる錦雲峡
下の谷は清滝川
高雄橋から清滝の金鈴橋の間をいわれます
絶景とは程遠い景観です
これは、カメラマンの技術のせい・・・・
絶景をみてのかえりみち
落ち葉の道でした
かわらけ投げ場への入口でもあり
出口でもあります
金堂下の石段から
山門前の白州を望みます
右の建物は五大堂の一部
紅葉に包まれた清滝川の東海自然歩道を歩く目的で三尾まで
やってきました。時間的に三寺院をくまなくお参りすることはできないので、神護寺の紅葉を愛でることを主目的入山しました。
門の形式の種類は楼門
機能による種類は二天門※
(※仁王像が収められていると
  仁王門と呼び方が変わります)
では、山門は・・・・気になる方は
       
こちらをどうぞ・・・・
下乗石「梵字 下乗」
「土器(かわらけ)投げ」
高所から土器(かわらけ)を投げて
風にひるがえるさまを興じ楽しむ遊戯 (広辞苑)
かわらけを投げる先の全貌
文覚(もんがく、1139〜1203)
平安末期〜鎌倉初期の僧
もと北面の武士で(院の御所の北面
(きたおもて)にあって院中を警護した武士)
神護寺を再興
伊豆に流されていたとき、源頼朝と知り合い、頼朝の挙兵を助成したが頼朝没後
時の権力者に疎まれて
佐渡・対馬に流罪