おおいがわかわごし ルート 09.07.20-金谷宿石畳(11:25/11:50)
09.07.21-嶋田宿大井川渡し(14:00/14:35)
東海道-大井川川越
地  域 22:島田/北西N 概要 東海道五十三次の二十三番宿場の嶋田宿と二十四番宿場の金谷宿の間に大きな難所として立ちはだかる大井川。この大井川にて、駿河国と遠江国(旧国名)にわかれていました。東海道中膝栗毛に、『ふたりも値段とりきはめて、蓮台に打乗見れば、大井川の水さかまき、目もくらむばかり、今やいのちを捨てなんとおもうほどの恐ろしさ、たとゆるにものなく、まことや東海道第一の大河、水勢はやく石流て、わたるになやむ難所ながら、ほどなくうち越して蓮台をおりたつ嬉しさ、いはんかたなし・・・・』とあります。嶋田宿側の大井川堤に立ち、往時を偲びます。まことに言い得て妙なる表現で、梅雨時なるが故でもあるのですが、水の流れは多くて速く、果たして渡れるだろうかとの思案も当然。川の袂には、少しですが町並みが保存されています。対岸の金谷宿には、往時の石畳が僅かながら現存し、石畳の復元箇所もあり、往時の佇まいを感ずることができます。
Mapion 静岡県島田市
標  高 --m/--m=--m
距  離 約--km、斜度:max--゜
体力度 --P、Θ
山行日 2009.07.20/21、(曇/雨)
形  態 前宿泊、4名
時  間 所要--/歩行--
アクセス 自家用車、04:00
備  考 特に問題なし
山悠遊-静岡/掛川
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
山聲-TOP
大井川島田宿側堤防、対岸は金谷宿
←下流
上流→
大井川川越遺跡 案内図
(現地看板)
せぎ板跡
ここで溢れくる水を食い止めました
川会所跡 川越し(かわごし)の料金を決めたり
       川札を売ったりするところ
芭蕉句碑
馬方はしらじ時雨の大井川(松尾芭蕉)
町並み
札場 一日の川越しが終了すると
    それぞれの番宿において川札を回収して
    札場で現金に換えた後、人足達に分配しました
朝顔の松
「朝顔日記」(江戸後期1811年に作られる)を伝える松の二代目。当時、浄瑠璃として上演され評判となったと伝えられています
   朝顔日記についての詳述は省略・・・・
東海道五十三次 嶋田宿
  大井川駿岸
(駿河川岸のこと)

渡る橋もなく、激流の難所だった大井川。明治維新後、ようやく渡船架橋が許可されました。筏(いかだ)や管流し(くだながし)による「川刈り※」が盛んになり、木材が島田に集まって木の都として栄えました
(※川狩り:川の流れを利用して、筏に組まずに
   木材を運ぶ方法)
東海道五十三次 金谷宿
  大井川遠岸
(遠江川岸のこと)

西に小夜の中山峠、東に大井川、二つの旅の難所に挟まれ「川越※」の宿場として栄え、金谷本宿と川原町の二つの町で構成されていました
(※川越し:かわごし。江戸時代、特定の大河に
   橋や渡船を設けず、川越し銭を取って
   人の肩や蓮台にのせて渡らせたこと)
石畳、時間の都合で雰囲気だけ味わいました
金谷坂の丘陵地に広がる茶畑
東海道金谷坂の石畳
この石畳は、江戸時代、幕府が近郷集落の助郷に命じ、東海道金谷宿と日坂宿との間にある金谷峠の坂道を旅人達が歩きやすいように、山石を敷き並べたものであると言われています。
近年、僅か30mを残す以外はすべてコンクリートなどで舗装されていましたが、平成三年、町民の参加を得て、「平成の道普請」で、延長430mが復元されました。いま、街道の石畳で往時を偲ぶことができるのは、この金谷坂のほか、箱根峠、中山道の十曲峠の三箇所だけとなりました
         (島田市教育委員会:現地看板)
この石畳、とても歩けたものではありません
往時の人は、足首が強かったようです・・・・
石畳の始端