菁莪記念館:正面全景
正面
側面
玄関から道路石柱門
大野是什坊句碑 『 初雪や それさへたらぬ 貯(たば)ひ酒 』 朝暮老人
山悠遊-岐阜伊吹
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
左翼石垣への石段
左翼石垣と堀
たけなかしじんや/せいがきねんかん ルート 岩手観光駐車場(14:50)〜竹中氏陣屋跡
〜菁莪記念館〜駐車場(15:00)
竹中氏陣屋/菁莪記念館
地  域 25ni:関ヶ原/北東E 概要 竹中氏陣屋は、安土桃山時代には岩手城と呼ばれ、関ヶ原の合戦後に竹中氏が旗本身分に留まったため、城は陣屋と呼ばれるようになりました。別名:竹中陣屋、岩手陣屋。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師(参謀)であった竹中半兵衛重治の子である竹中重門が築いたもので、敷地を囲む大規模な堀と石垣などがあり、世に言う陣屋というものより小型の城と言ったほうが相応しい規模です。竹中氏の居城は堅固な山城である菩提山城(岩手山城)でしたが、平時には不便なことから、麓に岩手城を築いたといわれます。現在その跡地は、岩手小学校と民有地となっていますが、白壁の櫓門、水堀の一部分、石垣の一部分が残っています。また、竹中氏は道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導し、多くの優れた人材を輩出しました。陣屋の櫓門は、菁莪義校の正門として位置づけられてきました。入口付近に竹中重治の像が据えられています。
Mapion 岐阜県垂井町岩手
標  高 80m/80m=0m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2015.03.31、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要00:10/歩行00:10
アクセス 自家用車、00:50
備  考 特に問題なし
菁莪記念館
旗本竹中家は、天保13年(1842)に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導し、
幕末維新の際に多くの優れた人物を輩出しました。
明治になると、菁莪義校、菁莪学校、岩手小学校として発展しました。

「菁莪(せいが)」とは、『詩経』の「菁莪者莪、楽
材也」に由来し
人材を育成すること、英才の育成を楽しむことを意味します。

当館は、岩手小学校の校舎新築を機に、昭和54年(1979)に開館し、
正面玄関は菁莪校義以来の様式を再現したものです。
竹中家関係を中心に、郷土岩手にゆかりのある城が多く展示されています。
                                 (垂井町教育委員会)
国井化月坊句碑 『 月のあと 残した藪の 梅白し 』 春香園
竹中氏陣屋跡
松尾芭蕉句碑 『 風吹くや 児玉の音ノ 菩提か那 』 はせを(芭蕉)

児玉家伝書によれば元禄6年(1693)芭蕉翁当家を訪れこの句と
自塑像を残したという
                      (平成9年3月 岩手公民館)


松尾芭蕉、寛永21年(1644)〜元禄7年10月12日(1964年11月28日)
奥の細道を旅したのは、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち
東北・北陸を巡り岐阜の大垣までを、弟子の河合曽良を伴い
その折に多くの句が詠まれたました。紀行文「おくのほそ道」は著名です。
8月下旬には大垣に着いています。

元禄6年夏には、暑さで体調を崩し
盆を過ぎたあたりから約1か月間庵に籠り、面会を絶っています
上記の句は、この時期のものとなります
竹中氏陣屋図(現地看板から)
左翼石垣上からの菩提山望遠:菩提山城址
左翼石垣上からの西側パノラマ:菩提山、屋敷跡は現在岩手小学校となっています
二の曲輪
  ↓
本曲輪
 ↓
出曲輪
 ↓
菩提山
 ↓
左翼石垣上からの東側展望:南宮山、奥の建物が公民館、その奥が菁莪記念館
明神山
  ↓
左翼の堀端からの櫓門
竹中半兵衛重治の銅像
櫓門:正門
竹中氏陣屋正門詳細はこちら
櫓門前面道路、櫓門の奥が公民館、その向こうが菁莪記念館
前面道路西側
観光駐車場から櫓門遠景
右翼石垣端にある薬医門(民間所有、絵図にはなく当時のもではない)
右翼石垣、櫓門右側面
  ↑
大手曲輪
山聲-TOP