東門背面
手水場の巻貝の吐水口
須賀神社、二の鳥居
菅浦地区
東門側面
須賀神社、一の鳥居、石畳の参道は約0.3km続く
案内板の地図
葛尾崎
 ↓
菅浦地区、菅浦漁港
竹生島
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四足門(しそくもん)東門、正面
道路が敷設される以前の集落の出入はこの四足門のみであり、そのものが要害でした。いざ、争いとなれば、重石をずらし不揃いな四本柱を倒し、大きい萱葺き屋根を落とし、防御の盾とする。これより内の紛擾(ふんじょう、もめごと)は総て村の掟によって裁かれた。他を寄せ付けない土地柄だったようです。
西門天井見上げ
西門側面
四足門(しそくもん)西門、正面
須賀神社社殿
拝殿は階段を上って、ここは土足禁止
土足厳禁、上履きが常備されている
竹生島
山聲-TOP
山悠遊-滋賀湖北
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
おくびわこ-すがうら ルート 菅浦P(13:00)〜西四足門〜須賀神社
             〜東四足門〜菅浦P(13:50)
奥琵琶湖-菅浦
地  域 25ns:竹生島/南西NW 概要 琵琶湖の北側にある菅浦地区。「湖北の中でもまったく人の行かない秘境」と白州正子は書いている。かつては陸の孤島とも言われ、船でしか行けない秘境であったが、大浦から湖岸に道が付けられてから簡単に行けるようになった。菅浦の歴史は古く、淳仁天皇が行在(あんざい、天皇行幸の際の仮の住まい)していたことがあり、現在の村人はその末裔ともいわれています。かつては比叡山延暦寺の重要な荘園でもあり、中世には隣の大浦荘と境界を巡って激しい対立、抗争を繰り返した歴史もあります。菅浦集落の氏神である須賀神社は、裸足になってお参りするしきたりになっていて、参道脇にある石碑にも 「土足禁止」と彫られています。現在は上履きがおかれ、参詣者はこれが利用できます。集落の4箇所(東西2箇所が現存)に四足門が設けられている。これらの門によって村の境界を明確に示し、自治独立を維持してきたものと思われます。
Mapion 滋賀県西浅井町
標  高 140m/90m=50m
距  離 約3.0km、斜度:max―゜
体力度 ―P、☆
山行日 2012.06.04、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要00:50/歩行00:40
アクセス 自家用車、01:10
備  考 特に問題なし
菅浦地区の西端からの琵琶湖