探訪記-滋賀湖北
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
いかぐじんじゃ 概要 伊香具神社は、式内名神大社で旧社格は県社、湖北随一の名社。上古の昔、この地が未開の湖沼地であった頃、祭神が来て開拓し、その後子孫を守護するために鎮座したといわれ、創立は天武天皇の白鳳10年頃(660)。昔からこの神社は、「火伏せの神」、「防火の神」として信奉を集めています。
神社庁によると、『「伊香」と書いて、古くは「いかご」あるいは「いかぐ」と発音し、万葉集でも、神社の背後の山、すなわち賊ヶ岳連山を「伊香山」と書いて「いかご山」と読ませている』とあります。
伊香具神社
地  域 25nn:木之本/南東SW
Mapion 滋賀県木之本町大音
山行日 2015.06.24、(晴)
賤ヶ岳リフト
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賤ヶ岳
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獨(独)鈷水:弘法大師が清水を掘り当てられた伝説
拝殿妻:入母屋部
拝殿前
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参道全景:桜並木が続く、賤ヶ岳
拝殿側面、幣殿・木造玉垣、本殿
拝殿扁額「伊香具神社」
蓮池:弘法大師の大蛇伝説がある沼跡
招魂社
本殿側面・木造玉垣側面、御神木:樹齢約400年、幹周囲6.5m、一目5本ありました
幣殿扁額「伊香大社」
幣殿内部
本殿、幣殿・木造玉垣
拝殿正中
社伝によれば、寛平7年(895年)に菅原道真が法華経や金光明経を手写して納め、同時に「正一位勳一等大社大明神金剛覚印菩薩」の勅額が下賜されたという。その後足利尊氏が200石の社領を寄せて祈祷を行うよう依頼し、浅井氏も庇護を加えたが、織田信長の支配により領地は没収、さらに賤ヶ岳の戦いの兵火に罹って社殿、古記録を焼失しました。正面の鳥居は、三輪式と厳島式を組み合わせた独特の形式で、かってこのあたりまで入り江であったことを示すものです。また背後の山は伊香山と呼ばれ中腹の大岩のかげに天児屋根命を祭る祠が鎮座している。
                                             wikipedhia 抜粋編集
一の鳥居、参道:砂利敷、二の鳥居まで約200m
拝殿側面
拝殿正面
力石:若者の成長のあかしとして持ち上げる力を競い合った、編集子は動きもしませんでした
手水舎、社務所
二の鳥居:伊香具式鳥居
鳥居詳細 はこちらから
境内
標識、神社標柱、背後は賤ヶ岳
一の鳥居、太鼓橋、定め書き
本殿、幣殿・木造玉垣
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