とくげんいん(きよたきでら) ルート 彦根(13:30)〜清滝寺(14:20/15:20)〜彦根(16:30)
徳源院(清滝寺)
地  域 25ni:関ヶ原/南西W 概要 清滝山の山麓にある天台宗の寺で、鎌倉時代中期の弘安9年(1286年)、佐々木京極氏初代氏信の開基と伝えられ、鎌倉時代から江戸時代まで栄えた佐々木京極氏歴代の菩提寺となっています。境内には、京極氏一族の墓が現存し、国の史跡に指定されています。墓所は、境内奥の山裾を上下二段に分け、上段には鎌倉から南北朝時代に活躍した一族の宝篋印石塔十八基が並び、下段には大津城主であった京極高次の石廟や木廟などがあり、時代による細工の違いなども比較でき、石塔の博物館の観があります。境内には本堂、位牌殿、三重塔などの堂宇があり、本堂裏には閑静な日本庭園があります。春は桜、秋は紅葉に山内が染められ、四季折々の趣を楽しまれている方も多い。近くには、南北朝時代に佐々木道誉とともに史実に登場する北畠具行の墓所があります。
Mapion 滋賀県米原市山東
標  高 --
距  離 --
体力度 Θ
山行日 2006.04.15、(雨)
形  態 日帰り、3名
時  間 所要--/歩行--
アクセス 自家用車、00:40
備  考 --
駐車場から見上げる清滝山(標高:439m)
ここから寺までは200mほど歩きます

「山ある記」 清滝山 はこちらからどうぞ
寺への参道は
桜の花のトンネルです
花のトンネルを山手から
見返りました

知名度は低くはないのですが
普通なら人を被写体から
抜くことなど至難なのですが
雨だからでしょうか
ご覧の通り・・・・
桜の独り占めです
そぼ降る小雨に
いつもの晴れやかさも控えめのようです
見られることにその存在価値を自認している
桜としても残念なことでしょう・・・・
徳源院の入り口です
「史蹟 清瀧寺京極家墓所」
と石柱にあります
清滝寺は
京極氏信
(きょうごくうじのぶ)
(1295年没)により創始され
以降は
菩提寺として栄えたましたが
京極氏が転出してから
寺は衰退してしまいました
寛文12年(1672年)
京極高豊が寺を再興して
その後、徳源院と改称した
と伝えられています
     (滋賀県教育委員会)
境内から清滝山を見上げます
道誉ざくら
えぞひがんざくらの一種
糸さくらとも言われる
樹齢約300年、樹高約20m

この桜の木は
佐々木高氏が植えられた
その子孫(二代目・三代目)
と伝えられています。
高氏は
31歳で入道(在家のままで
出家の相をなすもの)となり
「道誉」と号したので
「どうよざくら」と
呼ばれています
  (清滝寺史跡保存会)
閑話 佐々木高氏(1296〜1373年)は、初代氏信より数えて五代目にあたり、近江北半国の守護として、南半国守護の六角家とともに近江を支配していました。鎌倉幕府滅亡寸前まで、御家人として活躍していましたが、足利尊氏が室町幕府を開くやいなや、尊氏方の有力武将として反南朝勢力の雄となりました。なかでも、朝廷などの伝統的権威をおそれず、傍若無人で驕奢(きょうしゃ)・派手好みのふるまいは、俗に「婆娑羅(ばさら)大名」という異名をもった当時の社会風潮の一端の代表的人物だったといわれています。反面、高氏は武力のみならず、香道・花道・和歌などにも秀でていたとも言われています。
道誉ざくら 二代目?
道誉ざくら 三代目?
三重塔(17世紀中期頃の建立)
京極家墓所の門の屋根瓦
京極家の家紋:平四ツ目紋
清滝寺京極家墓所
墓所は、境内の山裾を上下二段に分け、上段には始祖氏信をはじめ高吉(18世)に及ぶ歴代の墓十八基が並んでいます。下段には大津城主高次(19世)の墓が石廟に入れてあるほか、下段には木廟内の四基を含めて十四基と五輪塔三基があります。これらは、江戸時代に高豊(22世、讃岐丸亀藩二代藩主)が、歴代当主の墓を一堂に集め、補修し整備したものです。    (滋賀県教育委員会)
讃岐丸亀藩は高和以降7代、幕末まで続きます
墓所下段の廟
手前が京極高次※の石廟(写真上)
※京極高次(きょうごくたかつぐ)は、信長の妹:市と浅井長政との間にもうけた次女:はつ(長女は茶々、三女は小督)をめとっています。秀吉の側室の松の丸殿は、高次の妹(姉とも)
墓所の上段(東方向から)
墓所の上段(西方向から)
十八基の宝篋印石塔が並ぶ
墓所上段から寺域を見下げる
第四番、源朝臣高氏の墓
余談
京極家の始祖である京極氏信の先代は
承久の乱(1221年)宇治川の戦いで名を
はせた佐々木信綱です。信綱には四人の
男子がいて、それぞれに家をたてました
長:重綱(大原氏始祖)
次:高信(高島氏始祖)
三:泰綱(六角氏始祖)-嫡流
四:氏信(京極氏始祖)-後に宗家を凌ぐ勢い
なお、佐々木氏の始祖は宇多天皇(第59代、在位:887-897)の第九皇子である敦実親王の子雅信が、承平6年(936年)に臣籍降下して源の姓を賜り、その子扶義は近江守となって現地へ赴任し、近江国に一定の権威を持つようになりました。扶義の子成頼は、その権威を利用して佐々木荘に土着し、成頼の孫経方に至って、小脇(八日市市小脇町)に居館を構えて武士化し「佐々木」を名乗ったとされます。末裔に乃木希典(のぎ まれすけ)などの名前が見受けられます。
春爛漫
なのに小雨が・・・・
山行予定が観桜に化けました
普段は、その存在もわからないのですが
この時期になると、川沿いや山裾には
ピンクの帯やかたまりが浮き上がります
清滝寺もその一つ・・・・
水辺の桜
木廟から石廟方向を見る(写真右)
山聲-TOP
山悠遊-滋賀伊吹
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき