にしのすいどう ルート 西野水道(12:25)〜琵琶湖岸(12:40/13:20)
〜西野水道駐車場(13:30)
西野水道
地  域 25n:竹生島/南東NW 概要 「西野水道」は、賤ケ岳山系が南へ延びた西野の西山という場所から、琵琶湖に向って山腹をくり貫いた排水用の岩穴(トンネル)です。この地域は、余呉川が西流から南流に大きく流れをかえる所にあって、北と西は山に囲まれた低地に位置しています。ひとたび大雨が降ると、余呉川の堤防が切れて氾濫し、また周囲の山や野に降った雨水・土砂もことごとくこの低地に流れ込み、さながら溜池のようになったといわれています。そのため水害が頻発し、それにより飢饉まで発生していました。江戸時代末期、水害から村と田畑を守るため、地域の村人が主体となって山の掘り貫き工事を行い、排水トンネル「西野水道」を完成させました。5年余の大事業で、完工は弘化2年(1845)秋のことといわれます。これは単なる水利事業としてだけではなく、幕藩体制下における民間主導の事業として、民衆史上高く評価され、滋賀県の史跡に指定されています。また、「近江の青の洞門」とも称され、その偉業を称えられています。
Mapion 滋賀県高月町
標  高 90m/86m=4m
距  離 --
体力度 --
山行日 2006.09.02、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要01:00/歩行00:30
アクセス 自家用車、01:00
備  考 ヘルメット、長靴必要
山悠遊-滋賀湖北
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
史跡西野水道:石碑
右下に入口がみえます、尚、現在は使われていません
入口(東側)を上から眺めました
最初は西側から掘削が始められ
途中から東側からも掘られたとか
入口正面です
入口(東側)です
天井には、補強の石版が置かれています
内部に入ります、壁・天井の補強が見えます
水道は曲がっているため光が通りません
懐中電灯をつけ足元を照らしながら進みます
カメラの持ち方もようやくなれ
左手に懐中電灯
右手にカメラを持ち、同じ手でシャッターを押す
撮影も順調でしたが、頭がゴツン
足元が窪みに落ちてグラッ・・・・
一番狭い所で1m60cmほどの高さです
幅は1mそこそこ・・・・
床には随分水がたまっています
ノミ痕もよくわかります
3分の2を過ぎたあたり、フレームで覆われました天井部分は、西側1/3の部分はアーチ型で
東側2/3の部分はフラットに掘られているとも・・・・
もうすぐ出口(西側)です
こちらから掘削が開始されたとか・・・・
出口です、夏草に覆われていました
左側に二代目の放水路、右側は三代目
当の初代は左側に隠れています
三代目の放水路は昭和55年につけられました
ここがその下流です
下流の先を見つめますと竹生島が見えます
初代の放水路から少し北よりに回り、琵琶湖岸に出てみました、穏やかな渚でした(3枚合成)
突き出ている右側の半島は葛籠尾崎、左は三代目放水路の河口の右岸です、漁師が出ています
鮎漁をしているのでしょうか
投網を打っています

沖に湖上から突き出ている棒・・・・
これは琵琶湖の漁法で知られる
エリ漁の設備の一部です
南の海でしたらヤシの実でしょうが
ここは琵琶湖岸
クルミの実がついていました
もうすぐ秋です・・・・
工事は能登と伊勢の石工が関わり
玄能・鶴首・鍬・磁石・カナテコ・その他諸道具
を使って行われました。完全な手作業です
地域の人たちも、堀割った石を運びだす作業
などに関わったとされています
足掛け5年の歳月をかけ完成しました
総経費は1275両(当時の米1表あたり50銭)
現在の価格にして約5億円相当
すべて村人からの拠出で賄われました
西野水道
江戸時代の後期の文化四年(1807)、天保三年(1832)、同七年(1836)に当地を襲った大洪水と大飢饉により、西野は壊滅的な打撃を受けました。こうした惨状を救うため、西野充満寺住職恵荘は、西山を掘り貫き水道をつくり、余呉川の水を琵琶湖に流すしかないと考えました。工事は天保十一年(1840)より着工され、多くの労力・経費を費やし、幾多の苦難を乗り越えて弘化二年(1845)に完成しました。水道は長さ220m、幅約1.2m、高さ約2mを測り、古生層の岩盤からなる山塊をくり貫いてつくられた排水用水路で、近世の民衆史上特筆すべき貴重な遺構です。水道内の壁にはノミ痕が残り、水路は所々で折れ曲がるなど、工事中に何度か方向とレベル(高さ)を修正したことが伺えます。
           (滋賀県教育委員会)
余談
「青の洞門」とは、大分県大分県耶馬渓にある洞門(隧道・トンネル)ことです。江戸時代中期、禅海という和尚が、鎖渡しと呼ばれる難所で命を落とす人馬を見て、村人のために安全な道をつくることを決意し、30年もの長い歳月をかけ、ノミ一本で完成させたというトンネルで、長さは約342m。これを題材とした菊池寛の小説『恩讐の彼方に』でも有名になりました。
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