山悠遊-湖北北部
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
大澤349峰
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くろだしきゅうえんのち ルート P(13:00)〜黒田氏旧縁之地(13:15/13:30)
〜黒田P(13:45)〜余呉湖周回(13:50〜14:30)
黒田氏旧縁之地
地  域 25nn:木之本/南東S 概要 2014年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」です。黒田官兵衛は、播磨の国(兵庫県)で、職隆(もとたか、八代)の子として孝高(よしたか、九代、通称:官兵衛)が産まれ、長じて羽柴秀吉の軍師として活躍し名をはせました。その子、長政は関ヶ原の戦いで功を挙げ、筑前の国(福岡県)を拝領し、明治維新まで続きました。黒田氏の始まりは、宇多源氏佐々木成頼で、京極氏につながり、宗清(むねきよ)を始祖とし、近江黒田村に居を構えました。始祖宗清の兄弟は京極宗氏で、その子が足利尊氏と同時代の風雲児:京極高氏(たかうじ、道誉)です。奇しくも、黒田の地に初めて縁を得てから、おおよそ270年後、官兵衛の雄姿は秀吉軍の軍師として賤ヶ岳に現れることになったのです。黒田の地は、東に北国街道が通り、西北に賤ヶ岳が峰をなし、その山麓には北から南へと余呉川が流れています。南に、小谷城のある小谷山や伊吹山が望遠できる山郷です。
Mapion 滋賀県長浜市木之本
標  高 120m/120m=0m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2014.03.03、(晴)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要01:30/歩行00:40
アクセス 自家用車、01::00
備  考 特に問題なし
静ヶ岳
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横山岳
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七々頭ヶ岳
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墓谷山
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大澤三角点峰
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賤ヶ岳
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大岩山
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黒田官兵衛が活躍した賤ヶ岳の合戦の古戦場:余呉湖
山田山
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伊吹山
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小谷山
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呉古の峰
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田上山
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黒田地区の東側にある峰
呉古の峰
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大箕山
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田上山
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黒田地区の北西にある賤ヶ岳東の峰
大澤349峰
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大澤三角点峰
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黒田地区の北側を流れる余呉川
紅梅がほころびはじめる
石碑
碑文
黒田孝高(官兵衛)系譜
横山岳
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余呉湖南湖畔から北側パノラマ
余呉湖北湖畔から南側パノラマ
紅梅の古木
地域には茅葺屋根も残る
廟と石碑
標識
黒田氏は、宇多源氏佐々木氏の末流といわれています。鎌倉時代の末、近江北方六郡守護である佐々木京極佐渡守満信の次男四郎左衛門尉宗清(宗満とも)が、近江国伊香郡黒田村に住んで黒田判官を称したのが始まりとされます。なお、源流である佐々木氏は、宇多天皇の皇子敦実親王が子の源雅信の子 扶義を養子とし、扶義の子成頼が近江国蒲生郡佐々木庄に居住して佐々木氏を称したのが始まりといわれます。
余呉湖湖畔は賤ヶ岳の合戦の主戦場の一つ、ここはつとに有名な「七本槍の地」
賤ヶ岳山頂からは、羽柴秀吉や黒田官兵衛などが戦況を眺めていたことでしょう
彼方に横山岳が望める
斉部路路(松尾芭蕉の門人)の歌碑、「鳥共も 寝入ていてか 余呉の海」
余呉湖北湖畔から南側展望
黒田地区の北西端より南東側遠望
黒田地区の東側にある峰
黒田氏旧縁の地の全景、現在は黒田集会所、背後の山は田上山
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