山悠遊-滋賀湖東
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
ぼだいじ-しゃじめぐり ルート 駐車地(07:40)〜野蔵神社(09:35/09:45)
〜廃少菩提寺石多宝塔および石仏(10:45/11:00)
〜菩提禅寺〜和田神社〜西応寺〜P(13:45)
菩提寺-社寺巡り
地  域 25e:野洲/南西E 概要 菩提寺山南山麓に点在する社寺をめぐります。この地域には、奈良時代に少菩提寺の堂宇が36坊もあった信仰の聖地でした。現在は、石垣や石仏にそのなごりをとどめます。その信仰心を今に伝えている社寺が今回の巡礼地です。野蔵神社、廃少菩提寺石多宝塔および石仏、菩提禅寺、和田神社、西応寺などです。野蔵神社は、延暦3年(784)に創建。少菩提寺は、良弁の開基といわれる寺院で、寺の跡には鎌倉時代の石造多宝塔(重文)や三体地蔵、閻魔像石仏などが現存。菩提禅寺は、黄檗宗開祖の隠元禅師の法孫道律により享保8年(1723)に創立。和田神社は、天平3年(731、奈良時代)建立、良弁が少菩提寺を建立された時、一山の守護神として勧請鎮座されたのがはじまりとされています。西応寺は、少菩提寺の三十六坊の一つで、入り口には巨大な岩が池に配され、奥には菩提寺山を背景に独特の趣向を凝らした枯山水の庭園があります。
Mapion 滋賀県甲賀郡甲西町
標  高 150m/120m=30m
距  離 約2.0km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2014.12.27、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要02:00/歩行00:30
アクセス 自家用車、02:30
備  考 特に問題なし
西応寺(さいおうじ)

西応寺は、南都興福寺別院少菩提寺の三十六坊の一つで禅祥坊と呼ばれる支院がはじまり。
僧義全が本願寺門主実如に帰依し、禅祥坊専源と改め、永正17年(1520)に西応寺(浄土真宗)を建立しました。山門を潜ると、おおきな岩が池に配され、奥には菩提寺山を背景に独特の趣向を凝らした枯山水の庭園があります。
和田神社(わだじんじゃ)

天平3年(731、奈良時代)建立。素盞烏命(すさのうのみこと)またの名を牛頭天王(ごずてんのう)を奉る。良弁が少菩提寺を建立された時、一山の守護神として三座を勧請鎮座され、その一座が「祇園天王社」で、和田神社のはじまりとされています。明治の廃仏毀釈により和田神社と改称。
5月1日が祭礼日であるが、前日の4月30日の夜から子供御輿と、今年生まれた男児を社の裏山にある神木まで連れ行く奇祭が行われます。
菩提禅寺(ぼだいぜんじ)

菩提禅寺は、黄檗宗開祖の隠元禅師の法孫道律により享保8年(1723)に創立。本尊の木造阿弥陀如来立像(重文)は、大般若院少菩提寺の遺仏と伝えられる室町時代に作られた仏像です。本堂前の庭には法華塔があり、阿星山が借景となっています。
野蔵神社(のくらじんじゃ)

野蔵神社は、延暦3年(784、平城京より長岡京に遷都)に創建。野洲町と甲西町の郡境に位置。
        参考:延暦7年には最澄が比叡山延暦寺を創建、そんな時代のことです。
野蔵神社(野洲町南櫻)のご祭神は、大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘・木花佐久夜比売(このはなさくやひめ)命です。菩提寺山は別名:櫻山とも呼ばれるそうで、山名および地名の櫻(桜)は、この神に由来していると伝わっています。
廃少菩提寺石多宝塔および石仏

少菩提寺は、良弁の開基といわれる寺院で、寺の跡には鎌倉時代の石造多宝塔(重文)が現存。金勝アルプスの金勝寺を大菩提寺と称されたのに対し、少菩提寺と呼ばれました。当時は36坊の堂宇を抱える大寺院でした。
拝殿越しの本殿
本殿
東の鳥居
借景の阿星山
石造地蔵菩薩立像
法華塔背面
本堂
閻魔像石仏遠景
参道
閻魔像正面
三体地蔵正面
石造多宝塔南東面
本殿左側面
拝殿からの本殿
拝殿前階段
阿星山
 ↓
二の鳥居
一の鳥居
手水場
書院
本堂
石亀
本殿右正面
庭園と法華塔
奥に多宝塔と枯山水の庭園があるらしい
手水場
石碑(彫刻内容不明)
本堂参道脇からの南側展望
阿星山
 ↓
飯道寺山
  ↓
竃(かまど)
南の鳥居
東の鳥居(帰路)
門を額縁にして
鐘楼
今回は、菩提寺山山行のコース身組み入れての巡礼です。
他に、少菩提寺ゆかりの場所は散在しているそうですが、今回はこの5か所のみ
機会があればまたの折に・・・・
山門側面(帰路)
灯篭、下部に仏形の彫刻
参道
山門(薬医門)
参道入口
石造多宝塔北西面
参道(帰路)
手水鉢
三の鳥居脇の狛猿
拝殿脇からの本殿
三の鳥居
手水場
本堂向拝
本堂扁額
三体地蔵右正面
石造多宝塔遠景
三体地蔵右側面
本殿正面
本殿左正面
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