たかちほきょう ルート 高千穂峡(08:20)〜真名井の滝遊歩道
〜道路滝(09:30)〜駐車場(09:50) 
高千穂峡
地  域 45:祖母山/南西SE 概要 天孫降臨の神話伝説に彩られた山間の高千穂町。町内には、天岩戸、天安河原、真名井など、神話に出てくる地名がでてまいります。大噴火による阿蘇カルデラをつくった火山活動によって、噴出した高温の軽石流(火砕流の一種)が、当時の五ヶ瀬川の峡谷沿いに、厚く流れ下りました。この火砕流堆積物が冷却固結し、溶結凝灰岩となり、柱状節理が生じました。溶結凝灰岩は磨食を受けやすいため、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となったものが高千穂峡です。高さ80〜100mにも達する断崖が7kmにわたり続き、これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。国の名勝、天然記念物に指定されています。その中で一番の景勝地が真名井の滝です。高千穂峡のハイライトゾーンである名瀑:真名井の滝は、昼なお暗い渓谷の崖上から、五ヶ瀬川の水深平均10メートルと言われている深渕をめがけて一直線に落下している景観は圧巻です。
Mapion 宮崎県高千穂町
標  高
距  離
体力度 ―、Θ
山行日 2010.03.24、(雨)
形  態 前後泊、3名
時  間 所要01:30/歩行00:40
アクセス 自家用車、14:00
備  考 特に問題なし
潜流瀑、岩から水が噴き出しています
「玉垂れの滝」の上にある半月の岩形を月形といいます。弟・素盞嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に嘆き悲しんだ天照大神は、天の岩屋戸にお隠れになりますが、八百万の神々の謀り事により、再びこの世にお戻りになります。素盞嗚尊は神々の裁きを受け、所払いとお詫びの証を造ることになりました。尊は、天照大神を日の光る太陽として日形を彫り、自分の光は月の半分もないからと、三日月の穴を彫り、その後高天原を去り、出雲の行かれたと伝えられています。
江戸時代末期の記録には月形・日形の絵図も残されていますが、今は日形は崩壊し月形のみが残っています。                                         (現地案内板)
真名井の滝(まないのたき)
七つ池付近の岩の造形
鬼八の力石(重量約200t)
高千穂神社の祭神三毛入野命は、弟の神武天皇とともに、大和に行かれますが、伝説では再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治しこの地を治めたといわれています。この時鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石といわれています。(現地看板)
柱状節理の岩壁
渓谷
渓谷
ここは五ヶ瀬川のなかで最も川幅の狭いところです。天正19年(1591)、県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来たちがここまで逃げたが、橋がないので槍の柄を手前の岸についたものは飛び渡り、向こう岸についたものは川の中に転落したと伝えられており、ここを槍飛びと言うようになりました(現地看板)
車はあららぎ駐車場に駐車。神橋から遊歩道に入り、槍飛橋、七ツケ池、真名井ノ滝、ボート乗り場
まで進み、玉垂の滝を経由して、同じルートをあららぎ橋まで戻ります。(イラスト:現地看板編集)
玉垂の滝
玉垂の滝
真名井の滝の下流、右側はボート乗り場
ボート乗り場対岸の大岩壁
月形
月形・日形
「名勝 天然記念物 高千穂峡」の石柱
真名井の滝を下流から
太古の昔、阿蘇山の噴火活動で流れ出た溶岩の侵食によって形成された渓谷で、最大の見どころが「真名井の滝」です。日本滝百選に指定されています。ボートに乗って、水面近くから見上げると迫力満点です。(現地看板)
真名井の滝(まないのたき)
柱状節理
柱状節理
水溜りは甌穴(おうけつ)になっています
岩壁
鬼八の力石
岩壁
槍飛(やりとび)
支流の流れ
神都高千穂大橋(奥:平成)、高千穂大橋(中:昭和)、神橋(下:大正)の競演
五ヶ瀬川に架かる三つのアーチ橋の眺めです
神橋  奥(左岸)に流れ落ちる滝は滝もどき(擬似滝)
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旅悠遊-宮崎/高千穂
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき