うすきせきぶつ ルート 駐車場(15:50)〜ホキ石仏第二群
〜ホキ石仏第一群〜山王山石仏群
〜五輪塔〜古園石仏群〜P(17:10)
臼杵石仏
地  域 44:臼杵/南西SW 概要 臼杵磨崖仏は、4群60余体の磨崖仏です。「臼杵石仏」の名で知られ、昭和27年(1952)、国の特別史跡に指定、平成7年(1995)には国宝に指定されました。磨崖仏としては日本最初、彫刻としては九州初の国宝指定です。仏像の様式などから大部分は平安時代後期、一部は鎌倉時代の作と推定されています。阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、風雨にさらされ続け風化が激しかったが、上屋の設置など保存に力が注がれています。付近は公園整備がされています。少し離れた場所に計3基の五輪塔があります。いずれも1つの石を削って五輪塔全体を刻み出した珍しい様式で、一基は山王山石仏横の急な山道を上った所にあり、さらに山中を進むと、大小2基の石塔。大きい方は嘉応2年(1170)、小さい方は承安2年(1172)の銘があり、日本で最も古い五輪塔の1つと言われています。国の重要文化財、特別史跡の「附」指定。
Mapion 大分県臼杵市深田
標  高 32m/13m=19m
距  離 約―km、斜度:max―°
体力度 ―P、☆
山行日 2010.03.24、(雨)
形  態 前後泊、3名
時  間 所要01:20/歩行00:40
アクセス 自家用車、13:00
備  考 特に問題なし
※五大にかたどった五つの部分(空風地火水)からなる塔
  石造が多く、平安中期頃から供養塔・墓塔として用いられた
五輪塔
中尊:大日如来坐像アップ、以前には仏頭が落ちていましたが修復されました
全景:(平安後期頃の作)
古園石仏への進入路
古園(ふるぞの)石仏
左脇尊:阿弥陀如来像アップ
三尊像(平安後期頃の作)
ホキ第一石仏群の上屋
左;如来三尊像:第三龕、右;地蔵十王像:第四龕
如来三尊像:第一龕アップ
ホキ第一石仏群
鎌倉時代の上屋の礎石と伝えられています、石仏が作り出された時代からあるということになります
磨崖仏の右側面
中尊阿弥陀如来像のアップ
山麓は公園として整備されています
三尊像を含め九品(くぼん)の弥陀像の左側から
古園石仏からの風景
九品(くぼん)の弥陀像(平安末期の作)
総高104cm地輪北面部に承安二年(1172)の刻銘
阿弥陀三尊像の左側から
阿弥陀三尊像(平安後期頃の作)
※ホキとは「崖險(がけ)」という意味の地名です
ホキ第二石仏群
空輪・風輪部分は欠損している総高約151cm、地輪歩北面部に嘉応弐年(1170)の刻銘
山中に国指定
    五輪塔
       ↓
五輪塔:二基 国指定重文
      ↑
ホキ第二石仏群
      ↑
ホキ第一石仏群
    ↑
山田石仏
 ↑
古園石仏
山中に県指定
五輪塔
   ↓
五輪塔:一基 大分県指定文化財
凝灰岩でできており、平安末期から鎌倉時代初期頃の作。地輪の部分が地中に埋まっています
しぐるるや 石を刻んで 仏となす (山頭火)

小雨がそぼ降る中、石仏の里にやってきました

なぜこんな所に、こんなに沢山の石仏があるのでしょうか
不信心な編集子には分るべくもありませんが
ひたむきな人々の信仰の証であろうことは、想像に硬くありません
信仰の対象として崇めるのか、芸術品として観賞するのか
各々の価値観によってさまざまな接し方があるのでしょう
いずれにしても、千年以上もの時空を越えて存在している事実は
それだけで畏敬の念を抱くに値するということでしょうか・・・・
古園石仏の上屋
右脇像:六尊
左脇像:六尊
右側面から
山王山石仏の上屋遠景
山王山石仏の上屋
右脇尊:伝薬師如来像アップ
中尊:伝釈迦如来像アップ
三尊像を左側から
山王山石仏の上屋
山王山(さんのうざん)石仏
地蔵十王像:第四龕(鎌倉期の作)、中央の向背に彩色唐草紋が残っています
如来三尊像:第三龕(平安)末期頃の作
如来三尊像:第二龕アップ
如来三尊像:第二龕(平安末期頃の作)
※龕(がん)は、仏像を納める厨子の意
如来三尊像:第一龕(平安末期頃の作)
ホキ第二石仏群の上屋
石仏群の位置
臼杵石仏遊歩道入口
山聲-TOP
旅悠遊-大分/臼杵
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
左側面から