なごやじょうし ルート 名護屋城跡(11:30/12:30)
名護屋城址
地  域 41:呼子/北西W 概要 名護屋城は、城郭構造:梯格式平山城、天守構造:望楼型5重7階、築城主:豊臣秀吉、築城年:天正19年(1591)、廃城年:慶長3年(1598)、遺構:石垣・空堀・井戸、指定文化財:国特別史跡。日本100名城(87番)に選定されています。名護屋(古くは名久野)は、海岸線沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置し、中世には松浦党の交易拠点の一つでありました。ここには、もともと松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、垣副城がありましたが、豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行いました。名護屋城は、波戸岬の丘陵(標高約90mほど)を中心に170,000uにわたり築かれた平山城の陣城です。五重天守や御殿が建てられ、周囲約3km内に120ヵ所ほどの陣屋がおかれました。 城の周囲には、城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほどに繁栄しました。
Mapion 佐賀県唐津市鎮西町
標  高 89m/54m=35m
距  離 約―km、斜度:max―°
体力度 ―P、☆
山行日 2020.11.19、(晴・雲)
形  態 後泊、3名
時  間 所要01:00/歩行00:30
アクセス レンタカー、福岡〜02:00
備  考 特に支障なし
東出丸石垣(帰路)
三の丸石垣(帰路)
天守台から遊撃丸土塁、左:二の丸
馬場
馬場
天守台からの展望-03
天守台からの展望-02
天守台からの展望-01
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「天守台からの陣跡」案内板
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「天守台」案内板
本丸から天守台
「本丸」案内板
東出丸からの展望
東出丸への上り口
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東出丸展望所
「名護屋城跡ガイドマップ」パンフレットから
「名護屋城跡並びに陣跡」配置図
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天守台から遊撃丸
本丸から天守台
本丸から呼子大橋展望
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大手口
太閤:豊臣秀吉の死後、大陸侵攻が中止されたために、城は廃城となったと考えられており、建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わります。石垣も、江戸時代の島原の乱の後に、一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却され、現在は部分が残ります。歴史上、人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況が復元保存されています。黒澤明監督による『乱』(昭和60年(1985)公開)のロケ地の一つに、名護屋城が選ばれ撮影が行われています。
天守台から本丸、右は二の丸
本丸
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三の丸から本丸大手門石垣
東出丸石垣
大手口から弾正丸を望む
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