歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
たかまつじょうし ルート 高松城址(13:50/15:50)
高松城址
地  域 37:高松北部/南西SE 概要 高松城は、城郭構造:輪郭式平城、築城主:生駒親正、築城年:天正18年(1590)、主な改修者:松平頼重・松平頼常、主な城主:生駒氏、松平氏、廃城年:明治2年(1869)、遺構:櫓・門・渡櫓・石垣・堀、重要文化財:北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓・旧東の丸艮櫓・披雲閣、天守構造:独立式層塔型3重4階地下1階(1669年改・非現存)、国の史跡。別名:玉藻城(たまもじょう)は、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来します。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587)、讃岐国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれました。現在の遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたもの。城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされました。
Mapion 香川県高松市玉藻町
標  高 06m/02m=04m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、☆
山行日 2018.03.14、(晴)
形  態 後泊:3名
時  間 所要02:00/歩行00:30
アクセス 自家用車、05:00
備  考 特に支障なし
披雲閣庭園、中奥に月見櫓
披雲閣庭園裏門
月見櫓(つきみやぐら)
月見櫓・水手御門・渡櫓
鞘橋内部
披雲閣西側
水手御門(みずてごもん)
本丸から鞘橋への枡形
天守台からの披雲(ひうん)閣
天守台からの水門望遠
桜御門跡
艮櫓(うしとらやぐら、旧太鼓櫓跡)
披雲閣庭園西門背面
披雲閣庭園
旭橋
高松城は、かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠のすべてに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城(うみじろ、城郭)です。
海城は、臨海にあって海を水運(海運)と防御に用いた城郭の形式であり、山城や平城などの立地に基づく分類とは異なり、平城の海城、山城の海城も存在します。海城は海運を押さえるため、舟の運用が不可欠であり、係留する施設として舟入や船着場が設けられたり、水堀の一部を舟入に兼用することが行われています。日本の主な海城は19城あり、このうち、高松城(讃岐国)・今治城(伊予国)・中津城(豊前国)は、日本三大海城(あるいは三大水城)と呼ばれています。また、この3城に桑名城(伊勢国)・三原城(備後国)を加えて、五大水城とも数えられています。
旭橋と旭門:帰路
披雲閣(ひうんかく)右正面
披雲閣庭園の銀閣寺手水鉢
披雲閣庭園東露地一の門正面
披雲閣庭園東露地一の門背面
披雲閣庭園東露地二の門正面
披雲閣庭園東露地二の門背面
披雲閣庭園
披雲閣庭園裏門背面
披雲閣庭園裏門正面
鞘橋:帰路
「高松城の歴史・天守台石垣の修理工事」案内板
「高松城天守地下一階の発見」案内板
天守台からの艮櫓
天守台からの鞘橋俯瞰、中央は二の丸、右奥に水門
天守台からの披雲閣庭園、左奥に水門
天守台
本丸からの天守台
鞘橋(さやばし)、奥の石垣は天主台、石垣の三倍が屋根の高さです、その大きさを想像できますか
二の丸跡からの鞘橋
披雲閣西門からの鞘橋、左の石垣は天主台
披雲閣西門背面
披雲閣西門額縁
披雲閣西門正面
桜御門跡前からの内堀、中央の高い石垣は天主台
桜の馬場からの艮櫓
旭門
旭橋と旭門
旭橋からの艮櫓
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鉄門(くろがねもん)跡
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高松城址(玉藻公園)案内図
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