おおたにやきかまもと | ルート | 大谷焼窯元(15:00/15:20) | |
大谷焼窯元 | |||
地 域 | 36:坂東/北西N | 概要 大谷焼は元々、染付磁器が焼かれていました。しかし、経営悪化で僅か3年で藩窯は廃窯となり、天明4年(1784)に藍商人であった賀屋文五郎らの手によって再興され、信楽(滋賀県)の陶工の協力もあり、藍染の需要に見合った大甕を焼きました。明治に入ると、化学染料の開発、生活様式の変化に伴い、藍甕の需要は激減、それでも脈々と大甕作りは続けられ、今日に至っています。現在は壺、皿、徳利、片口、茶器などの小物が焼かれています。平成15年(2003)に、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。窯元の一つである森陶器には、登り窯(登録有形文化財、現在使われず)があります。平地に傾斜地を造成して築かれた登窯で、全長約28m、奥行約7.4m、幅約2.8mの房室を8房連ねます。吉野川支流の大谷川左岸沿いに位置し、道路に面する間口約40m、高さ約10m規模の擁壁とともに、類例のない景観をつくりだしています。 | |
![]() |
徳島県鳴門市大麻町 | ||
標 高 | 13m/10m=03m | ||
距 離 | 約―km、斜度:max―゜ | ||
体力度 | ―P、Θ | ||
山行日 | 2019.11.29、(晴) | ||
形 態 | 前後泊:3名 | ||
時 間 | 所要00:20/歩行0:10 | ||
アクセス | 自家用車、05:00 | ||
備 考 | 特に支障なし |
大谷焼は、大谷地区でつくられるb器です。安永9年(1780)に、四国八十八ヵ所霊場に来た豊後の国(大分県)の焼き物細工師:納田文右衛門が、親子5人連れで大谷村山田の里(現在の大麻町大谷)に来て、はじめて轆轤細工を披露し、時の庄屋・森是助が素焼窯を築いて蟹ヶ谷の赤土で作った火消壷等の雑器類を焼いたことが始まりといわれています。寝轆轤と呼ばれる独特の轆轤を用いて制作される大甕で知られます。寝轆轤は、相手が寝ながら足を用いて回す仕掛けで、基本的に大甕作りは二人の呼吸が合っていないと作れません。なお、この大甕は阿波地方の特産である藍染めに欠かせない道具であり、藍甕と呼ばれます。