探訪記-山口防府
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
こうざん-じょうえいじ 概要 常栄寺は、毛利元就が息子隆元の菩提を弔うため、広島県安芸高田市に創建されました。関ヶ原の戦い後、毛利氏が長州藩に移封に伴い、山口にあった国清寺を接収し常栄寺としました。文久3年(1863)、長州藩の行政中心地を萩から山口に移転した際に、萩から洞春寺を常栄寺の地に引寺。常栄寺は、現在地にあった明寿寺と合寺し現在に至ります。宗派:臨済宗東福寺派、山号:香山、本尊:千手千眼観自在菩薩。庭園は国の指定名勝。
香山-常栄寺
地  域 35:山口/南東C
Mapion 山口県山口市宮野下
山行日 2011.04.21、(晴)
現在地は、元は大内氏が大内政弘別邸跡に創建した妙喜寺に由来しています。大内政弘は当時山口に滞在していた雪舟等楊に対して庭園の造営を依頼し、雪舟は寺の北側の後庭を造営したと伝えられています。これが後世に知られる「雪舟庭(せっしゅうてい)」であります。その後、大内氏が没落すると、毛利氏はここを山口出身であった尾崎局の菩提寺とし、寺名も妙寿寺と改名しました。更に、常栄寺の移転によって、再度改名することになりましたが、この間、庭園はそのまま維持され続けました。雪舟が造営した庭園は、枯山水を用いた池泉回遊式庭園で、寺に面する南側以外の三方を林地で囲んだ小谷地に築造され、前に心字池、東北には枯滝が設けられている。また、立石の手法も独特のもので、室町時代の庭園の姿を今日に遺している。また、江戸時代に雲谷等益が描いた「絹本墨画淡彩雪舟等楊像」が、山口県の有形文化財に指定されています。
(wikipedia:抜粋編集)

総門 詳細はこちらから

境内案内図(現地標示板)

雪舟像、1420-1506

地蔵堂(左側)と前庭:円月庭
雪舟(せっしゅう)は、室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱は「等楊(とうよう)」と称しました。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防に移ります。その後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、李在より中国の画法を学びました。中国画の、直模から脱した日本独自の水墨画風を確立し、後の日本画壇へ与えた影響は大きいとされています。
「涙で描いた鼠」の逸話が知られています(後年の創作の説有)。        (wikipedia:抜粋編集)

勅使門前から総門

勅使門 詳細はこちらから

勅使門前から庫裏

鐘楼門 詳細はこちらから

書院玄関

鐘楼門を抜け左側に本堂を見上げる

塀越しの本堂

本堂表縁前の庭:南溟庭(なんめいてい)左側

本堂表縁前の庭:南溟庭(なんめいてい)中央

本堂表縁前の庭:南溟庭(なんめいてい)右側

本堂縁扁額「金毛窟」

本堂方丈の間

雪舟庭パノラマ :本堂縁中央

雪舟庭パノラマ:本堂縁西側 

本堂背面園と雪舟庭

本堂縁西側からの庭園

西側からの庭園

北側石組み望遠

聴松軒

聴松軒からの庭園

筆塚、妙喜寺殿(大内政弘公母君)墓

散策路

散策路

散策路

奥之院:毘沙門堂

毘沙門天立像

毘沙門堂扁額「毘沙門尊天」

薬師如来堂

弘法大師堂
   
山聲-TOP