歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
ひろしまじょう ルート 市営駐車場(10:00、有料)〜原爆ドーム(10:10/10:40)
〜広島城址(10:50/11:40)〜縮景園(12:00/13:20)
〜市営駐車場(13:30)
広島城
地  域 34:広島/北東C 概要 広島城は、城郭構造:輪郭式平城、天守構造:複合連結式望楼型5重5階(1599年・非現存)・外観復元(SRC造・再建1958年)、築城主:毛利輝元、築城年:天正17年(1589)、主な改修者:福島正則、主な城主:毛利氏・福島氏・浅野氏、廃城年:明治7年(1874)、遺構:石垣・堀、指定:国史跡、別名:鯉城・在間城・当麻城。毛利輝元が、太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、昭和20年(1945)まで、天守を始めとする城郭建築が現存し、点在していましたが、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊(近年の研究で、天守は原爆による爆風で吹き飛ばされたのではなく、建物の自重により自壊したことが判明)し、現在見られる城内の天守以下城郭建築は、すべて昭和33年(1958)以降に再建されたものです。また名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に数えられ、日本100名城の一つに選定されています。
Mapion 広島県広島市中区
標  高 08m/03m=05m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 8P、☆
山行日 2011.04.22、(雨)
形  態 前後泊自、3名
時  間 所要00:50/歩行00:30
アクセス 自家用車、08:00
備  考 特に難所なし
天守南側
南側からの天守中景
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史跡 広島城 沿革」案内板
御門橋・表御門正面・平櫓
裏御門の橋からの南側堀
樹間からの天守
本丸からの天守
本丸下段から本丸への階段
二の丸
交差点からの多聞櫓
江戸時代では、西日本有数の所領となった広島藩42万6000石の太守:浅野家12代の居城となり、江戸時代中期に書かれた『広島藩御覚書帖』で知るところでは、5重と3重の大小天守群以下、櫓88基が建てられていました。毛利輝元によって創建された大天守は、太平洋戦争で倒壊するまで、現存天守の中では岡山城天守に次ぐ古式を伝えるもので、外壁仕上げの下見板張りや最上階に高欄を持つ外観仕様は、国宝保存法下の国宝指定(1931年)の理由の一つとなっていました。外観復元された大天守は、歴史博物館「広島城」として利用されています。江戸時代初頭に入城した福島正則の増築以降に、城域となった外堀までの約90万uの範囲のうち、現在の史跡としての広島城は、広島市中央公園内の内堀を含む本丸跡と二の丸跡の範囲で、広さ約12万m2と三の丸跡の一部が残ります。
裏御門跡の橋からの北側堀
裏御門跡
天守東側
東側からの天守
天守正面
本丸
二の丸から本丸下段への橋からの西側堀
本丸下段から二の丸の太鼓櫓・多聞櫓見返り
「史跡 広島城」案内板
「本丸・二の丸図」銘板
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「二の丸表御門」案内板
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「史跡広島城」案内図
表御殿左翼塀
御門橋・表御門・平櫓
平櫓、多聞櫓
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山悠遊-広島/広島