おとめとうげマリアせいどう | ルート | 宿(09:00)〜永明寺〜マリア聖堂(10:10/10:40/) 〜津和野町並(10:45/11:45)〜森鴎外旧宅(12:10) 〜西周旧宅(13:00)〜鴎外記念館(13:30) |
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乙女峠マリア聖堂 | |||
地 域 | 32:津和野/南西N | 概要 慶応元年(1865)、長崎浦上の隠れキリシタンの内、少数の者が、当時フランスの居留民のために建てられ、日本人が立ち入り禁止だった大浦天主堂に入り、神父にキリスト教の信仰を告白しました。2年後の慶応3年(1867)、浦上四番崩れといわれる弾圧が始まりました。その後、江戸幕府は瓦解しましたが、禁教政策を引き継いだ明治新政府によって、明治元年(1868)、3,414人が鹿児島、萩、名古屋など20箇所の地域に流罪になり、津和野にも浦上から153人が送られ、乙女峠の光琳寺に収容されました。津和野藩は、改宗を勧めましたが、応じなかった信者たちの内、36人が拷問の末に殉教しました。その際、日本で唯一、聖母マリアが降臨された地といわれています。乙女峠マリア聖堂は、昭和23(1948)年、殉教者の霊を慰めるために光淋寺跡に建立され、ステンドグラスにはその様子が描かれています。境内には、織部灯籠が建てられています。 | |
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島根県津和野町後田 | ||
標 高 | 198m/194m=04m | ||
距 離 | 約―km、斜度:max―゜ | ||
体力度 | ―、☆ | ||
山行日 | 2011..04.18、(晴-雨) | ||
形 態 | 前後泊、3名 | ||
時 間 | 所要00:30/歩行00:10 | ||
アクセス | 自家用車、08:00 | ||
備 考 | 特に問題なし |