はらはちまんじんじゃ ルート 原八幡神社(10:00/10:30)
原八幡神社
地  域 25znw:彦根東部/南西S 概要 原八幡神社は、主祭神:應神天皇・配祀神:天之水分神・国之水分神、創立:不詳、本殿の構造:一間社流造。旧中山道沿いの西側に位置し、名神高速道路彦根ICの北側に位置しています。『坂田郡志』には、「鳥居本村大字原にあり。祭神應神天皇なり。近江輿地志略に、八幡神社原村にありと記されています。土俗に、守屋連が兜を納むるところなりと、或は言う。馬子が兜なりとも称し、今神宝として存す。神社明細書に「天正二甲戌八月本殿再興にして、淡海記巻十一に聖徳太子物部守屋と開戦の後、大神を勧請す云々あり、淡海落穂草、淡海国木間攫等にも列記ありて太子自用の甲冑を納めて大神を勧請す云々」と記載してあります。明治九年十二月村社列格、明治四十二年十月神饌幣帛料供進指定。境内には、芭蕉句碑(昼寝塚)・祇川句碑(白髪塚)あります。日本一の太鼓が奉納。
Mapion 滋賀県彦根市原町
標  高 118m/115m=03m
距  離
体力度 ―、Θ
山行日 2023.10.31(晴)、23.11.15(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要0:30/歩行00:10
アクセス 自家用車、00:10
備  考 特に問題なし
許六句碑
許六句碑は原東山霊園管理事務所 庭園の中にあります
旧中山道原地区
名神彦根ICの近くに「日本一太鼓 原八幡神社」の大きな看板があり、何が日本一なのかと案内板を確認すると、「直径2.06m、胴回り6.24mで、重さは約4トン。 一本の木をくりぬいた物では、世界最大の和太鼓と言う事です。使われた木材はカメルーン産で、樹齢1500年以上・高さ40m超、直径は3m超のマメ科の大木。また、皮は黒毛和牛の雌で、富山県の牧場で3年間特別に飼育された 1トンもある牛2頭を各一面に使用。石川県の浅野太鼓店で製作された」と記されています。一本の木をくりぬいた物では、世界最大の和太鼓と言う事でした。境内は近年再開発されてとても広く、太鼓が格納されている倉庫側と佐和山山系南山麓にある本殿側で雰囲気が全く違っています。
西参道口からの東側展望 野田山山系
原八幡神社 御由緒
南参道鳥居神額『原八幡神社』
南参道鳥居
南参道鳥居
神馬
南参道 神馬
南参道
太鼓蔵左正面
太鼓蔵右側面
太子堂扁額『太子堂』
太子堂右側面
太子堂正面
太子堂左正面
太子堂手水場 吐水龍
太子堂手水場
太子堂手水場
末社
不動明王
不動明王堂
ひる寝塚 裏面、※写真クリックで拡大
白髪塚 表面
ひる寝塚 裏面、※写真クリックで拡大
「ひる寝塚」案内板、※写真クリックで拡大
鳥居をくぐり奥へ進むと芭蕉と祇川の句碑があります。大津から岐阜への途中、中山道・床の山辺りから彦根の李由に文通した句といわれています。「立ち寄って昼寝でもしたいのにと、会わずに過ぎる心残りを床の山に託して言い送った」と、『新潮古典集成』などの学者風な解釈もあれば、ここ八幡神社の境内案内板には、中山道を往来する旅人が夏の暑い日に、この涼しい境内で昼寝などしている。つかの間の休息をしている「床」と、近くに望む「鳥籠山とこのやま」をかけて詠まれたものと思われる」とあります。のどかな街道風景が偲ばれます。芭蕉句碑(昼寝塚)「ひるかほに 昼ねせうもの 床のやま:芭蕉」、祇川句碑(白髪塚)「恥ながら 残す白髪や 秋の風:祇川」、聖徳太子と物部守屋との戦い等、幾多の戦の将士達をあわれみ蕉門四世・祇川居士(陸奥の人)で芭蕉の門人が師の夏の句に対し秋を詠んだ句と伝わります。
男岩・女岩
本殿右正面
本殿右正面
本殿右正面
拝殿右側面
拝殿神額『原八幡神社』
拝殿正面
拝殿、奥に本殿左正面
拝殿左正面
吐水龍
手水場
東参道
東参道
東参道
「芭蕉 昼寝塚、祇川 白髪塚」案内石碑
東参道鳥居神額『八幡神社』
東参道鳥居
許六句碑、※写真クリックで拡大
『水すじを 尋ねてみれば 柳か那 許六』
原東山霊園管理事務所
太鼓蔵裏からの西側展望
西参道口からの北側展望 佐和山山系南端
「原八幡神社 御由緒」、※写真クリックで拡大
太鼓蔵正面
太鼓蔵右正面
末社
「白髪塚」案内板、※写真クリックで拡大
昼寝塚 表面
祇川 白髪塚、芭蕉 昼寝塚 裏側
祇川 白髪塚、芭蕉 昼寝塚
水準点
「石の由来」案内板、※写真クリックで拡大
手水舎
東参道二の鳥居
東参道
山聲-TOP
旅悠遊-滋賀北鈴鹿
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
太鼓蔵裏からの西側望遠 彦根城、※写真クリックで拡大
森川許六(もりかわきょりく)句碑 2023.12.05訪問