歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
かたたのうきみどう ルート 海門山満月寺(浮御堂)(12:30/13:00)
堅田の浮御堂
地  域 25s:堅田/南西E 概要 堅田の浮御堂は、琵琶湖畔の湖上に突き出た仏堂で、室町時代に選定された『近江八景』の一つ「堅田の落雁」で名高く、『堅田の浮御堂』の通称でも知られています。宗派:臨済宗大徳寺派、山号:海門山(かいもんさん)、寺号:満月寺、本尊:観音菩薩。平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して、一千体の阿弥陀仏を手づから刻み建立されました。その後、幾度かの災いにより、荒廃した時もありましたが、江戸時代、大徳寺の管理によりに復興されました。江戸時代の浮御堂は、桜町天皇(1720-1750、在位:1735-1747年)より禁中の能舞台を下賜され、建立されたものです。現在の浮御堂は、昭和12年の再建によるもので、昭和57年にも修理が行われ、昔の情緒をそのまま残してます。境内の観音堂には、聖観音座像(重文)が安置されています。いにしえより、堅田は都に近く、湖上交通の要衝であったこともあり、一休和尚、蓮如上人が訪れ、芭蕉、一茶、広重、北斎などが詩歌や絵画などを残しています。
Mapion 滋賀県大津市本堅田
標  高 85m/85m=00m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2017.06.18、(曇)
形  態 日帰り、2名
時  間 所要00:30/歩行―
アクセス 自家用車、01:20
備  考 特に支障なし
  近江八景(おうみはっけい)
琵琶湖の湖南地方を中心とした名勝
室町時代の明応9年(15009)、関白:近衛政家・尚道父子が近江に乱を避けていた際
中国の瀟湘(しようしよう)八景になぞらえて詠んだのに始まるといわれます
   堅田落雁
   矢橋帰帆
   勢(瀬)田夕照
   石山秋月
   粟津晴嵐
   唐崎夜雨
   比良暮雪
   三井晩鐘
   の八景をさし、京の都にちかいところから選定されいます

  琵琶湖八景(びわこはっけい)
近江八景は、今日では昔の面影を失っているものが多く、湖南地域に偏っていることもあり
昭和25年(1950)に日本最初の国定公園指定後、あたらしく『琵琶湖八景』が選定されました
   夕陽:瀬田・石山の清流
   煙雨:比叡の樹林
   涼風:雄松(おまつ)崎の白汀
   暁霧:海津大崎の岩礁
   新雪:賤ヶ岳(しずがたけ)の大観
   月明:彦根の古城
   春色:安土・八幡の水郷
  深緑:竹生島の沈影
  の八景をさし、琵琶湖の雄大さと変化に富んだ景観が主として選ばれています
山門(竜宮門、登録有形文化財) 詳細はこちらから
護岸よりの浮御堂
琵琶湖大橋と高浜虚子の句碑、※なぜ句碑が湖中にあるのでしょうか
浮御堂からの護岸と渡橋パノラマ
手水場
書院からの横這いの松、右奥に茶室玉鈎亭(きょくこうてい)

茶室玉鈎亭(登録有形文化財)
昭和9年の台風で、倒壊した前身浮御堂の古材を天井などの一部に用いて建築
昭和63年に客殿南から現在地に移築されました
書院からの横這いの松、奥に浮御堂
井戸上にある釣瓶滑車
書院玄関扁額『海門』
満月寺書院庫裏
書院と書院前の横這いの松
護岸よりの浮御堂
浮御堂正面扁額『浮御堂』、※正面は湖上(東側))を向いています
境内
右奥句碑 『 鎖(じょう)明けて 月さし入れよ 浮御堂 』 芭蕉
中央句碑 『 比良三上(ひらみかみ) 雪さしわたせ 鷺(さぎ)の橋 』 芭蕉
左前句碑 『 病雁(やむかり)も 残らで春の 渚かな 』 高桑蘭更
浮御堂縁側頼の三上山
句碑 『 春風や 人陸にあり 舟に乗り 』 中井余花朗
三上山
 ↓
渡り橋からの浮御堂(背面)(登録有形文化財)
渡り橋袂からの境内
句碑 『 五月雨の 雨垂(あまだれ)ばかり 浮御堂 』 阿波野青畝
渡り橋と浮御堂
浮御堂からの護岸
左奥の建物が観音堂(聖観音座像(重文)が安置)(登録有形文化財)、正面奥が浮御堂
湖中の句碑 『 湖も この辺りにして 鳥渡る 』 高浜虚子
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浮御堂からの琵琶湖パノラマ
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