探訪記-滋賀湖北
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
だいきさん-かんざんじ 概要 大箕山中にある真言宗豊山派の古刹。奈良時代、孝謙天皇の勅を受けた照檀上人が開山。明治以降は衰退し無住で、現在は荒れるにまかす状態です。山門の左右には、菅原道真御手植えと伝えられる樹齢千余年のケヤキがそびえ、ヒシの自生する朱雀池やブナの原生林などの自然に固まれています。近江天満宮は菅原道真公発祥の地として、道真が太宰府で無くなった後で建立され、道真の像を祀り、菅山寺の鎮府としたのが近江天満宮の始まり。以降、有力者の崇敬を集め、現在の本殿は彦根藩主築造。
大箕山-菅山寺
地  域 25n:木之本/南東C
Mapion 滋賀県余呉町坂口
山行日 2015.11.11、(晴)

左奥:山門、右:宝蔵庫
宝物は、坂口山麓の弘善館にて保管される

山門 詳細はこちらから
門両側にあるケヤキは菅原道真ゆかりの古木

山門近くの紅葉

ケヤキの紅葉

護摩堂

庫裏脇の公孫樹 

護摩堂、奥に庫裏 

公孫樹の紅葉

庫裏前からの展望、己高山山系が遠望

本堂左背面遠景

本堂妻見上げ

本堂左側面、経堂から俯瞰

本堂向拝右側面
 本堂左正面
本堂正面 
奈良時代の天平宝字8年(764年)、孝謙天皇の勅願により照壇上人が開山、
当初、法相宗の龍頭大箕寺と称しました、後に真言宗豊山派に改宗
途中、衰退しつつあったそうですが
平安前期に菅原道真は、6歳から11歳まで本寺で勉学し
功なった菅原道真が宇多天皇の勅使として入山
寛平元年(889年)から3院49坊の寺院に再興、再び繁栄をもたらしたと伝わります
名も菅原公の一字をとり、『大箕山菅山寺』と改められたとされています 

経堂遠景

経 堂
鎌倉の中期に専暁上人が唐から持ち帰った教典「宗版一切経七千余巻」は
この経堂に納められていましたが
江戸時代になって徳川家康の強い要望により
このうちの5714巻(現在国宝)を芝の増上寺に譲ったことから
徳川幕府から50石の寺領が与えられました 

経堂周りの紅葉

五重石塔と経堂 

鐘 楼
鎌倉中期の作銘を持つ銅鐘(重文)
現在、山から下ろし保管されています

本堂前水鉢と灯篭

水鉢

本堂遠景

本堂前参道見返り

本堂前参道
落葉のじゅうたんが敷き詰められています

境内の紅葉

境内の紅葉

朱雀池湖畔

古木の切株

朱雀池

朱雀池の東側に近江天満宮

五所権現社

近江天満宮左遠景

近江天満宮左正面

近江天満宮正面

近江天満宮左正面
近江天満宮は、菅原道真公の死後、道真の自作と伝わる像を祀り
菅山寺の鎮守としたのが始まりだと言われています
当初は、神仏習合の形態をとっていました
明治時代初頭に発令された神仏分離令により神社として独立
現在の建物は、大正時代末期の建立

余呉湖に残る伝説の天女が産んだ子といわれる菅原道真
この地には、京に上る6歳から11才まで勉学に励んだと伝えられています

菅原道真にまつわる伝説は、湖北地区にもあります
その一つが余呉の北岸にある西天神宮(山ある紀:余呉湖-北山三座 参照)
ここに「菅公夜泣石※」なるものがあります       ※:リンクしています

近江天満宮、建築様式:権現造
奥:本殿、中:石の間、手前:拝殿

近江天満宮の拝殿左側面
入母屋造向拝付

竜頭岩、さしずめ磐座に相当、本殿の横にある

拝殿裏側からの北東側展望、中奥:横山岳

近江天満宮拝殿右正面

弁天堂遠景

弁天堂右正面

弁天堂側面

周回路から経堂屋根を俯瞰

周回路の紅葉

周回路の紅葉

案内図(現地案内板)
   
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