探訪記-滋賀湖北
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
よしろじんじゃ 概要 與志漏神社の創建は不詳。古くから余領(よしろ)郷の氏神として崇敬され、世代(よしろ)大明神と称し、始祖:波多氏と推定。平安時代から鎌倉時代にかけては、己高山鶏足寺の鎮守社として社運も隆盛し、神威もまた絶大であったことがうかがえます。境内にある戸岩寺は霊亀2年(716)に創建されたもので、最盛期には境内に多くの堂宇が建ち並び、多くの修行僧が勤めていました。神仏分離令により、多くの寺院は急速に衰退します。その中で、神社は明治9年に村社、明治18年に郷社に列しています。境内は秋になると紅葉で彩られます。
與志漏神社
地  域 25nn
:近江川合/南西SW
Mapion 滋賀県木之本町古橋
山行日 2015.11.22、(晴)

参道口

一の鳥居

鳥居神額「與志漏神社」

参道

参道紅葉

参道紅葉

西側展望:呉枯ノ峰

参道見返り

二の鳥居

手水舎吐水口 詳細はこちらから

神社拝殿遠景

拝殿右正面

與志漏神社の案内板

拝殿内部、扁額「與志漏大明神」
與志漏神社
與志漏神社の創建は不詳ですが、古くから余領(よしろ)郷の氏神として崇敬される大社だったと伝えられ、世代(よしろ)大明神と称していました。境内背後の山の斜面には、製鉄炉跡もあり、古代の精錬技術者の氏神や祭神である、波多八代宿禰(武内宿禰の子で淡海臣の祖)の子孫である波多氏との、関係も深いものと推定されています。また、『ヨシロ』は八代の転化したものと言われます。
延長5年(927)に編纂された、延喜式神名帳に式内社として記載され、平安時代から鎌倉時代にかけては、己高山七大寺(己高山五箇寺とも)に数えられた鶏足寺の鎮守社として、社運も隆盛し、湖北三郡に氏子を擁するなど、神威もまた絶大であったことがうかがえます。
境内にある戸岩寺は、霊亀2年(716)に創建されたもので、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、己高山にあった多くの寺院は急速に衰退します。明治9年に村社、明治18年に郷社に列し、明治42年に神饌幣帛料供進社に指定されています。 

幣殿、瑞垣、本殿、脇社

岩戸寺薬師堂正面

戸岩寺の案内板

薬師堂右背面
戸岩寺は霊亀2(716)年の創建と伝えられています。
本尊の薬師如来は、僧行基により伊香山(異光山)五ツ岩の麓からこの地に移され、その岩にちなんで戸岩寺と名付けられたとつたわります。宗派:法相宗から天台宗に転宗。八世紀末頃から伝教大師最澄や弘法大師空海、慈覚大師円仁といった名僧とも縁があり、最盛期には境内に多くの堂宇が建ち並び、岩本坊・阿弥陀坊・開寿坊・真乗坊・道禅坊・長円坊の6坊を擁し、30余名の修行僧が勤めていました。現在は薬師堂及び大日堂を残すのみです。境内にある「己高閣」と「世代閣」には、廃寺となった寺宝や仏像が集められ展示、保存されています。

薬師堂左背面

薬師堂背面の紅葉

戸岩寺大日堂遠景

大日堂正面

戸岩寺鐘楼

世代(よしろ)閣、己高閣脇の紅葉

石仏群

伊香具坂神社鳥居

鳥居神額「伊香具坂神社」

鳥居前紅葉

古橋製鉄遺跡跡の案内板

製鉄遺跡:保存のため埋戻し

古橋周辺案内板=現地案内板

製鉄遺跡跡からの己高山展望:中央奥
   
世代(よしろ)閣、己高(ここう)閣、己高庵、周辺の紅葉 
   
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