本堂遠景
永明寺西側からの伊吹山、撮影日:2003.08.10
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
禁牌石(きんぱいせき) 参道の入り口にあり、ご存じ「葷酒山門に入るを許さず」と記された石碑
               ※戒律を重視する黄檗宗が初めて我が国に導入されたものだそうです
初秋の本堂、撮影日:2014.09.17
月台(げったい):砂を敷いた広場が、本堂正面に設けられています。櫛目引きの作業中
           これは、月光の反射光で堂内を明るくする工夫です、法要時の臨時の舞台
えにちざん-ようめいじ ルート 駐車場(09:30)〜永明寺〜駐車場(12:30)
慧日山-永明寺
地  域 25ni:関ヶ原/南西S 概要 霊仙山系の最北端山麓に位置する黄檗宗の寺院です。本尊:釈迦如来、勧請開山:鉄牛禅師、開山:独心禅師。寛文元年(1661)、隠元禅師が宇治に黄檗山萬福寺を開創。寛文4年(1664)、酒塩谷に永明寺を創立。菖蒲原に移転の後、天明6年(1786、10代将軍徳川家治)、現本堂を新たに完成(前本堂は書院に変更)。本堂(大雄宝殿)の主要構造部は総欅造り、入母屋桟瓦葺き裳階付、扇垂木、内陣は漆喰土間、黄檗様式(明朝風)の寺院で、「中山道柏原宿の隠れ寺」、こんな異名の似合う禅寺です。柏原三山(成菩提院、徳源院、永明寺)のハイキングコースの一つに指定されています。皇女和宮の降嫁に際し、柏原宿では収容できず、永明寺にも分宿されたと記録に残る。江戸時代の柏原宿は、幕府直轄から、享保9年(1724)、享保の改革:幕府の直轄領の拡大政策により、大和の郡山藩領(柳沢吉保の子:吉里が初代、飛地)となり明治に至る。
Mapion 滋賀県山東町柏原
標  高 190m/190m=0m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2015.03.21、(晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要03:00/歩行00:10
アクセス 自家用車、00:30
備  考 特に問題なし
山里の彩り:05枚
撮影日:2015.03.21
永明寺境内にて
(滋賀県山東町)
北通用門、両側は土塁址
歴代住持墓所
土塁(境内北側)、宝生寺跡地・番匠垣内遺跡
本堂背面
鐘楼、基壇の石組みは創建当時のもの
鎮守社
典座(てんぞう):台所、大屋根は修行僧が大勢いた証
左:庫裏・書院、右:典座
書院玄関、改修前は解放下屋
書院玄関扁額「永明精舎:第31代瓜頂禅師揮毫」
火頭窓(かとうまど)
組子障子:障子の桟が外向きが特徴
背面板戸、欄間装飾
円窓(えんそう):日月をシンボルとしたもので本堂正面の左右に配されています
正面唐戸、柱には「近江新西國第六十番札所永明寺」の木札、聖観音菩薩の観音講信仰
生飯台(さばだい):餓鬼に食事を施すための石造りの台、月台(げったい)の横にあります
月台、櫛目引きの作業が終わりました、外壁面には法要の幕が張られました
山号扁額「慧日山」
ともに黄檗山第44代管長・柏樹老師の揮毫によるものです
寺号扁額「永明寺」
宝珠:大屋根棟の中央に招福を祈る約物瓦を載せています
鯱(しゃちほこ):大屋根棟両端に載せてある約物瓦で、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き
          背中には幾重もの鋭いトゲをもっている想像上の動物、鬼瓦同様守り神とされる
本堂(大雄宝殿:だいゆうほうでん)、屋根が重層で一見大きな建物にみえます:下層を裳階(もこし)
                      といい、主要部材は欅(けやき)で造られています
禁牌石:表面
禁牌石:裏面
錦秋の本堂、撮影日:2012.11.25
山聲-TOP
山悠遊-滋賀伊吹