じょうぼだいいん(えんじょうじ) ルート 登山口P(10:30)〜P300峰〜野瀬山頂上(11:05)
〜須川地区谷出合〜成菩提院(13:10/13:20)
〜向山(柏原)(14:05)〜成菩提院〜登山口P(15:00)
常菩提院(円乗寺)
地  域 25ni:関ヶ原/南西C 概要 常菩提院は、宗派:天台宗、山号:寂照山、寺号:円乗寺、院号:成菩提院、創建:弘仁6年(815)、開祖:最澄、本尊:十一面観音。天台宗の開祖:最澄が東北に向かうときに談議所を建てたのに始まり、のちに延暦寺の別院の一つとなりました。柏原は、古くから街道が通る交通の要衝で、江戸時代には中山道の宿場町として栄えました。成菩提院は、その柏原集落のはずれ、旧中山道が見下ろせる山麓・向山を背にしてあります。現在は、静かな佇まいの中にあって、長い歴史と豊かな文化財を今に伝える名刹です。記録によると、この地が交通の要地であったことから、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、また関が原の合戦前に小早川秀秋も宿泊したとされます。徳川家康の参謀といわれた天海大僧正が住職を務めた時期もあります。寛文5年(1665)の調書によると、寺坊64坊、僧侶103人とあり、大きな寺院であったことが印されています。
Mapion 滋賀県山東町柏原
標  高 172m/165m=07m
距  離 約―km、斜度:max―°
体力度 ―P、Θ
山行日 2010.10.11、(晴)
形  態 日帰り、名
時  間 所要00:10/歩行00:05
アクセス 自家用車、00:30
備  考 特に支障なし
白清水
本堂左正面
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日有:庫裏、右:客殿
左:客殿、中奥:宝物殿、右:鐘楼
門前の下馬碑
山門扁額『寂照山』
山門正面額縁
山門左正面
寺伝によると、嘉暦元年(1326)、越前平泉寺の衆徒が乱入、堂宇が焼失。室町時代に入り、足利義満の心願を受け、延暦寺西塔僧:貞舜が再興し、住持したとされています。その後は、江北を本拠とした京極氏の庇護のもと栄えました。
織田信長は、妹お市を浅井長政と結婚させ、浅井氏と親戚関係にあった頃、近江に来た信長に、京極高吉は信長に接見し、指示に従い協力することを誓いました。その後、信長に二心のないことを示すため、嫡子の小法子(後の高次)を人質に出しました。この高次が、滅亡に等しかった京極家を再興させました。
中山道の交通の要路にあり、織田信長は永禄11年(1568)、浅井長政と会見のため近江入りし当寺で一泊、足利義昭を伴って入京した際、またその帰路も当寺を宿としました。
豊臣秀吉は、小田原出兵の際や上京の際に宿泊しています。関ケ原の戦い直前には、小早川秀秋も宿営しました。合戦後、住持:祐円は徳川家康の陣に戦勝を祝し、家康から兵糧の残米と陣営の古材を寄進され、堂宇を修造しました。
江戸時代盛時には、末寺八十余ヶ寺を数えたといわれます。
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「白清水」案内板
左:庫裏、中:客殿、中奥:本堂
伽藍台から参道見返り
「常菩提院」案内板
山門遠景
参道
山聲-TOP
山悠遊-滋賀伊吹
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき