歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
ぼだいじさんろくしゃじめぐり ルート 駐車地(07:40)〜菩提寺山〜野蔵神社(09:35/09:45)
〜廃少菩提寺石仏(10:40)/菩提禅寺(11:10)
〜和田神社(11:15)/西応寺登山口(11:25/11:40)
〜菩提寺山南峰(12:25)〜北尾根分岐〜P(13:45)
菩提寺山麓社寺巡り
地  域 25e:野洲/南西E 概要 菩提寺山は、三上山(近江富士)の南側に位置し、甲西富士とも呼ばれています。奈良時代に、山中に三十六坊もの堂坊を持つ少菩提寺があったことが山名の由来だといわれます。その寺院も織田信長の兵火に遭い、今は山麓に石仏や石垣などの面影を残すのみとなっています。ルートは、みどりの村東口から菩提寺山に登り、山麓に降りて、@野蔵神社〜A廃少菩提寺石仏〜B菩提禅寺〜C和田神社〜D西応寺〜菩提寺山に登り返し、出発点に戻るコースを取りました。山麓には、廃少菩提寺を中心に社寺が点在し、信仰の深さが偲ばれます。廃少菩提寺は奈良時代、良弁の開基と伝えられ、金勝山の大菩提寺に対して、ここを少菩提寺と呼ばれたとされています。元亀の騒乱により、兵火により焼失しましたが多宝塔や石仏などが現存しており、国の史跡に指定されています。
Mapion 滋賀県甲西町/野洲町
標  高 353m/120m=233m
距  離 約―km、斜度:max―°
体力度 44P、☆☆
山行日 2014.12.27、(雨/晴)
形  態 日帰り、1名
時  間 所要06:05/歩行04:30
アクセス 自家用車、01:30
備  考 落葉湿潤:スリップ注意
野蔵神社(のくらじんじゃ) 地理院地図
桓武天皇延暦3年(784)に、社殿建立祭神奉斎と伝えられます。歴代領主、崇敬者の信仰は篤く、南北朝時代には、宋版大般若経六百巻、絹本釈迦十六善神画像などの施人、田地の寄進を受けています。江戸初頭、領主:稲垣摂津守から神領五反、八幡山三町歩余が寄進され、ついで、廣幡内大臣家がこの地を治め、明治に至るまで、折々奉幣使を派遣され、守護神も勧請されています。 

参道口、一の鳥居

平参道、二の鳥居

参道

手水舎

手水場

拝殿

拝殿側面

拝殿内部

三の鳥居

神門


狛猿

「野蔵神社略記」案内板

本殿

本殿側面

参道(帰路)
   
   
(廃)少菩提寺社(はいしょうぼだいじ) 地理院地図
興福寺の別院として、天平3年(731)、良弁によって創建された大寺院です。 聖武天皇以降、歴代天皇の勅願所となっていました。 金勝アルプスの「金勝寺を大菩提寺」と呼んだことに対して、少菩提寺と呼ばれていましたが、元亀元年(1570)、織田信長の兵火に遭い廃寺となりました。今は、山麓に石垣や石仏などを残すのみとなっています。

「多宝塔及び石仏」案内板

「周辺散策マップ」案内図

石多宝塔入口

石多宝塔全景

石多宝塔全景

石多宝塔

石多宝塔

石多宝塔

石多宝塔背面基部

石塔・石仏

三体地蔵

三体地蔵

閻魔大王僧石仏

閻魔大王像石仏
   
   
菩提禅寺(ぼだいぜんじ) 地理院地図
宗派:黄檗宗、山号:圓満院、本尊:阿弥陀如来。開創:享保8年(1723)、開山:道律。もとは、少菩提寺の阿弥陀堂でした。織田氏による元亀元年(1570)の兵火ですべて灰燼と化しましたが、その中に「永正16年(1519)」の銘の入った石仏がこの寺に残され、祀られています。永い風雪に経ったこの石仏のみ、450年以前のこの惨事を知っておられるのです。菩提禅寺は、その後再建され、江戸時代の享保8年(1723)に黄檗宗になりました。本堂の本尊阿弥陀如来立像は、国重要文化財です。本尊は兵火を免れたものとして最古のものであり、藤原期の作品で、約1000年を経過しているとされます。本堂の前には少菩提寺址にあるのとよく似た地蔵石造が一体あります。

階段参道、寺号石

本堂正面

本堂向拝

本堂向拝扁額『菩提禅寺』

本堂左側面

本堂前庭園、法華塔

法華塔正面

法華塔側面

菩提禅寺本堂前からの庭園借景が阿星山、法華塔は創建時山頂にあったそうです

「法華塔」案内板

法華塔背面

地蔵菩薩石造

地蔵菩薩石造

庫裏前参道

「木造阿弥陀如来立像」案内板
   
   
和田神社(わだじんじゃ) 地理院地図
奈良時代、第45代聖武天皇を受けた良辨僧正が、歴代天皇の国家鎮護の勅願として、当地に「円満山大般若台院少菩提寺」を建立開基され、一山守護神として三座勧請鎮座されました。その一座が「祇園天王社」で、当社の始まりです。当社は、少菩提寺伽藍とともに幾度となく兵火に遭いましたが、その都度再興されて来ました。社域は明和4年(1767)の頃、西の城谷氏城跡の大堀切の南端にあたるこの地を浄めて遷座し、今日に至っています。明治時代に神仏分離の際に、「和田神社」と改められました。この名前の由来は、その昔消失した当社が再興されるのに尽力された「和田の」にちなみ数百年の間、「和田の明神社」とも呼ばれ親しまれて来たことからです。

参道口

階段参道

一の鳥居

一の鳥居見返り

手水舎

手水場

拝殿

神門・玉垣

「和田神社縁起」案内板

玉垣右正面


「和田明神と神亀の縁由」案内板

西の鳥居(境内から)

西の鳥居(車道から)
   
   
西応寺(さいおうじ) 地理院地図
西応寺は、宗派:真宗大谷派、山号:功徳円満山、本尊:阿弥陀如来、開創:永正17年(1520)、開山:義全上人。少菩提寺三十六坊の一つで、当時の「禅祥坊」が前身です。「西応寺」に現存する古絵図に、七堂伽藍が整い三十六坊を数えた堂坊が描かれています。 庭園は、山を借景に巨石を配した枯山水庭園です。 西応寺境内の白壁のお堂の横(左手奥)から、菩提寺山の登山道「西応寺ルー ト」があり、山頂のすぐ南に続いています。

参道口

山門

鐘楼

本堂前参道

手水舎

書院への参道

書院玄関

書院・中庭・本堂

本堂左正面

本堂正面

灯籠

歌碑(判読できず)

山門前からの展望、阿星山

「絹本著色廃少菩提寺古絵図」案内板
   
   
山聲-TOP
山悠遊-滋賀/湖東南