だいひざんいわやじ ルート 大悲山岩屋寺(09:10/10:10)
大悲山岩屋寺
地  域 23:師ア/北西C 概要 岩屋寺は、宗派:尾張高野山宗、寺格:総本山、山号:大悲山、本尊:千手観音菩薩、創建年:伝・霊亀元年(715)、開基:伝・行基、中興年:文化年間(1804-1818)、中興:豪潮、別称:岩窟寺・岩屋観音。かつては千眼光寺とも号し、弘法大師空海が大同3年(808)に、この寺の「奥之院」を開いたとされています。度々の火災で焼失し、文化年間(1804-1818)に尾張藩主:徳川斉朝の依頼により、天台宗の密教僧である豪潮律師によって再興されました。寺所は「大本堂」、「奥之院」の二ヶ寺に加え、裏山の山頂にある空海の修行大師大仏と不動明王などの五仏の霊所からなります。裏山の大師ヶ嶽の参道には、豪潮律師が開眼したと伝えられる石仏群の八十八大師像と五百羅漢像があり、これにより地元には空海への大師信仰が興ったとされます。昭和26年(1951)には天台宗から独立して一派をなし、尾張高野山宗を称しました。
Mapion 愛知県知多町山海
標  高 28m/18m=10m
距  離
体力度 ―、☆
山行日 2023.11.28、(晴/曇)
形  態 前泊、3名
時  間 所要01:00/歩行00:30
アクセス 自家用車、02:20
備  考 特に問題なし
三重塔前からの参道見返り
波切不動明王堂
初神不動明王
奥に奥の院本堂(奥の院行場)
六観音
六観音水向堂扁額
三重塔扁額
三重塔
尾張高野山宗開山廟遠景
尾張高野山宗開山廟遠景
永代供養塔(蓮観堂)正面
中興豪潮律師塔・奥に永代供養塔
永代供養塔(蓮観堂)側面
奥之院参道
奥の院参道口・石柱門
奥の院:境内から薬300m
表参道
護摩堂背面・鐘楼背面
鐘楼・裏参道
鐘楼・裏参道
鐘楼
護摩堂
薬師堂
薬師堂中景
笠森稲荷社
笠森稲荷社鳥居神額
笠森稲荷社鳥居
笠森稲荷社中景
石仏群
親大師遥拝所・石仏群
一切経蔵正面
一切経蔵中景
阿弥陀堂
一切経蔵・阿弥陀堂
手水舎
手水舎
本堂扁額『岩窟寺』
本堂(観音堂)
裏参道
裏参道・石柱
讃仏殿・本坊(弁天の間)
水鉢
香炉場
駐車場からの参道口
裏手の山を登ると石造りの五百羅漢が並ぶ。古くはなっているものの戒壇院も残ります。山上には弘法大師の石仏も建っています。この寺が「岩屋寺」と呼ばれるように、奥の院に登ればそこはまさに霊場としての雰囲気が漂います。岩肌には清水が流れ、石窟の至る所に石仏があり、その数は数千体に及ぶといわれます。時折、山間に般若心経を唱える声がこだまします。寺宝である大蔵経5463巻は、戦国時代に大野城主:佐治氏から寄進を受けたものです。原典は、中国唐時代に玄奘法師がインドから伝えたものですが、宋の時代にたびたび印刷されたものです。よく完備され、欠本が少ない点で大変に貴重な資料で、国の重要文化財に指定されています。その他にも、弘法大師使用と伝えられる仏具15点26器も国の重要文化財の指定を受けています。
奥の院参道(見返り)
三重塔(見返り)
くるま六地蔵堂
初神不動・石仏
六観音水向堂
三重塔中景
尾張高野山宗開山廟前の参道
尾張高野山宗開山廟中景
奥の院参道口・六地蔵菩薩堂
表参道・石柱門
一切経蔵扁額『一切経蔵』
一切経蔵前
「岩屋寺の指定文化財」案内板、※写真クリックで拡大
「岩屋寺全図」案内板、※写真クリックで拡大
山門:石柱門
手水場
山聲-TOP
旅悠遊-愛知知多
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき