歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
にらやまはんしゃろ ルート 韮山反射炉(11:25/12:00)
韮山反射炉
地  域 22in:韮山/南東N 概要 韮山反射炉は、日本に現存する近世の反射炉(韮山反射炉と萩反射炉)の一つで、平成27年(2015)には、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に正式登録されました。天保11年(1840)のアヘン戦争に、危機感を覚えた韮山代官:江川英龍は、海防政策の一つとして、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議し、嘉永6年(1853)の黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定され、嘉永6年(1853)、伊豆下田にて築造開始したが、下田に入港したアメリカ合衆国のペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため、築造場所が韮山に変更され、安政4年(1857)に完成。佐賀藩や薩摩藩をはじめとして、幕末期の日本では各地に反射炉が作られましたが、そのほとんどが失われ、当時のまま残っているのは、萩と韮山の反射炉のみです。特に韮山反射炉は、実際に稼働し、大砲を鋳造した反射炉であることが特徴であるとされています。
Mapion 静岡県伊豆の国市中
標  高 25m/22m=03m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、Θ
山行日 2017.11.14、(雨)
形  態 後泊、3名
時  間 所要00:35/歩行00:10
アクセス 自家用車、05:30
備  考 特に支障なし
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出湯口側案内板
鋳台案内板
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焚口案内板
鋳口案内板
出湯口、出滓口、方孔
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焚所風入口、灰穴
外観東側
韮山反射炉の変遷
安政04年(1857) 反射炉完成
明治41年(1908) 煉瓦補修、縁とつぶ上中下層への鉄骨補強
昭和32年(1957) 煙突外部への鉄骨トラス補強、煙突天蓋設置
昭和60年(1985) 基礎・炉体・煙突内外部補強、鉄骨トラス差替(更新)
韮山反射炉の構造
鉄製24ポンドカノン砲(再現)
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出湯口、出滓口、方孔
鋳口
外観西側
外観南西側
外観南側
外観遠景
外観遠景
炉体の構造案内板
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