探訪記-岐阜養老
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
せいばんざん-みょうおうじ 概要 正平15年(1360)に、今須領主長江重景が母親の菩提を弔うために、創建した岐阜県下で最も古い曹洞宗寺院。山号:青坂山、本尊:釈迦如来。東海薬師霊場第13番札所。西美濃三十三観音霊場第18番札所(札所本尊:聖観音)。領主の菩提寺として庇護され寺運も隆盛しましたが、応仁の乱後長江氏(※1)が没落すると庇護者を失い一時衰退します。江戸時代に入ると寺領20石が安堵され、さらに中期以降は、京都伏見宮家の祈願所として庇護された事で、再び隆盛しました。
青坂山-妙応寺
地  域 21y:関ヶ原/南東W
Mapion 岐阜県関ヶ原今須
山行日 2015.12.20、(晴)
※1、長江氏は、承久(じょうきゅう)の乱(3年、1221)後、相模国から美濃国不破郡今須村に移住した。その祖は源義家に従い、後三年の役に勇名をあげた鎌倉権五郎景政と伝わる。
景政の孫(義景)の代に長江氏を称し、6代目:長江頼景は不破郡居益の松尾山に城を築き、美濃守護土岐光行の幕下になったと伝わります。8代目:重景(しげかげ)は、正平15年(1360)、大徹宗令を開山として、父母菩提のために妙応寺を建立しました。
応仁2年(1468)、土岐方の名将斎藤妙椿の今須攻撃によって、敗戦し、一族離散の憂き目となった。その後、12代目:長江景隆は織田氏に仕え、その子の半之丞は蜂須賀家政に仕えて阿波に移り、子孫は徳島藩士として続いたと伝わります。              (wikipedia 抜粋編集)

左回廊外部

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右回廊外部、鐘楼

「妙応寺」案内板

本堂(法堂)正面

座禅堂

座禅堂扁額「選佛場」

鐘楼

庫裏前より山門左正面

庫裏前より座禅堂・薬師堂

庫裏前より本堂
庫裏前より本堂渡廊下・庫裏玄関

本堂渡廊下書院玄関

庫裏玄関脇の坪庭

庫裏玄関

庫裏玄関扁額

本堂向拝

本堂向拝扁額

薬師堂、東海薬師霊場第13番札所
薬師堂扁額

本堂向拝水鉢:左

本堂向拝水鉢:右

水鉢、致永作、1799年

本堂鬼瓦旧品

「鬼瓦」案内板

同祖人:現代版、山門内右脇にありました

本堂向拝前からの境内

墓地への潜り門

墓地長江地蔵菩薩堂、長江氏の墓所

墓地阿弥陀堂

墓地阿弥陀堂前の彫刻

墓地への潜り門(帰路)

本堂前境内(帰路)

山門(帰路)
   
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