歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
しょうげんさんみょうぜんじ ルート 荻町合掌集落駐車場(09:00)
〜明善寺(09:20/09:35)〜駐車場12:00)
松原山明善寺
地  域 21n:鳩谷/南西S 概要 明善寺は、宗派:浄土真宗大谷派、山号:松原山、本尊:阿弥陀如来、創建:延享元年(1744)、開基:玄西。享保21年(1736)。白川郷では、親鸞聖人の弟子:嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)が最初に念仏を広めた地ですが、荻町には従前に照蓮寺末の本覚寺がありました。しかし延宝8年(1680)、本覚寺は照蓮寺下を離れ、西本願寺末に転じてしまいました。それで照蓮寺は、本尊・名号を旧本覚寺門信徒に授与し、預かった内ケ戸村の者が荻町に移転しました。元文元年(1736)、本堂着手にかかり、延享元年(1744)に完成し、明善寺の寺号が与えられました。合掌造りの寺院で、村指定重要文化財の本堂と、県指定重要文化財の庫裏・鐘楼門、県指定天然記念物のイチイの樹があります。平成7年(1995)、ユネスコ世界文化遺産『白川郷・五箇山の合掌造り集落』に登録されました。
Mapion 岐阜県白川村荻町
標  高 498m/497m=01m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、☆
山行日 2019.10.31、(晴)
形  態 前泊:3名
時  間 所要00:15/歩行00:05
アクセス 自家用車、03:30
備  考 特に支障なし
庫裏軒見上げ
庫裏、山門
山門 詳細はこちらから
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「庫裏」案内板
本堂向拝
本堂正面
本堂右正面
明善寺庫裡(郷土館)は、江戸時代末(1817年頃)に、高山の副棟梁の大工:与四郎によって建てられました。客間である「でい」が「口のでい」「奥のでい」と3室に分かれており、南側と表側の一部が庭に面して回廊になっているのが大きな特徴です。階上は郷土の民具などの資料が展示された「明善寺郷土館」として公開されています。
明善寺鐘楼門は、屋根は茅葺きですが、1階に板庇をつけた珍しい建築物。亨和2年(1801)加藤定七により、延べ人数1425人を要して建てたと伝えられています。
梵鐘は、第二次大戦中に供出されたため、現在のものは戦後に鋳金を工芸作家の中村義一氏(高岡市)によって作られたものです。
明善寺本堂は、文化3年(1806)より欅材の伐採に着手し、20年近い歳月を経た文政10年(1827)に、高山の大工:水間宇助により、延べ9191人を要して建築されたといわれています。正面(西)及び南、北に縁があり、南側奥が花立部屋、北側は半鐘部屋、東奥側には後堂、中央部は2間で手前に外陣、その奥に一段高くして内陣があります。向拝の龍頭の彫刻などに細工師のすぐれた技術をうかがうことができます。
明善寺のイチイは、文政10年(1827)、本堂の建設に際し、副棟梁の大工:与四郎が、鐘楼門の横に記念樹として植樹したものと伝えられています。石垣は、伝建地区の保存対象となっていますが、このイチイの木はその石垣の一角にあって、境内全体の調和を保っています。
集落からの明善寺庫裏:左奥
集落からの明善寺庫裏:中央奥
庫裏左正面
庫裏玄関
庫裏表示板
本堂妻壁
本堂右側面
本堂右正面中景
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山悠遊-岐阜奥美濃