歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
かるいざわ ルート 軽井沢銀座散策(09:35/12:30)
軽井沢
地  域 20n:軽井沢/南西W 概要 軽井沢周辺の標高は1000m前後であり、年平均気温は7.8℃で、札幌の平均気温(8.5℃)よりも低い所です。そのため避暑地として知られ、著名人の別荘や、1958年に皇太子明仁親王殿下(当時)と正田美智子様の出会いの場所になった「軽井沢会テニスコート」があることなどでも広く知られています。都心からのアクセスが良く、買い物から自然散策まで色々な楽しみ方ができるスポットとして、一年中人気があります。江戸時代は宿場町、明治時代には外国人向けの避暑地となった歴史があり、随所にその面影を残したスポットが点在しています。宣教師が開いた協会や、政財界や文化人に愛されたホテルなど、今なお愛されている建物も多く、写真や写生に訪れる人も多く、日本を代表する高原リゾートです。今回の訪問では、日本聖公会ショー記念礼拝堂〜軽井沢会テニスコート〜諏訪神社〜聖パウロカトリック教会、軽井沢銀座などを巡りました。
Mapion 長野県軽井沢町軽沢
標  高 975m/955m=20m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、☆
山行日 2018.08.29、(曇・雨)
形  態 前後泊:4名
時  間 所要02:55/歩行01:00
アクセス 自家用車、06:00
備  考 特に支障なし
聖パウロカトリック教会
日本聖公会ショー記念礼拝堂鐘
日本聖公会ショー記念礼拝堂
諏訪神社鳥居
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ショーハウス
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朝の軽井沢銀座
軽井沢は、江戸時代には、五街道のひとつ中山道が通る宿場町であり、中山道の難所のひとつとして知られる碓氷峠の西側の宿場町として栄えていました。軽井沢付近には、軽井沢宿(旧軽井沢)のほか、沓掛宿(中軽井沢)・追分宿(信濃追分)が置かれていました(この3宿をまとめて「浅間三宿」という)。また、浅間山を望む景勝地としても有名でした。その後、軽井沢宿・沓掛宿は洪水や火災に遭った上、大規模開発もあり、宿場町時代の街並みは失われました。中山道と北国街道の分岐点であった追分宿は、宿場町の面影のある街並みや史料が残り、往時の様子を知ることができます。 江戸幕府が倒れ明治時代に入ると交通事情が変化し、参勤交代もなくなったため、全国の宿場町は没落していきました。明治17年(1884)には、(新)碓氷峠を越える碓氷新道(現在の国道18号)が開通。軽井沢宿は新道のルートからも外れ、宿場町としての機能を失いました。明治18年(1885)夏に、カナダ人の聖公会宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが、たまたま軽井沢を訪問。ショーは、軽井沢の冷涼な気候や風土が故郷のトロントと似ていると感じ、「屋根のない病院」と呼びました。軽井沢が「保健休養地」とされる所以です。以後、軽井沢駅が地域の玄関口として機能するようになり、駅前に商店が増えました。新道や鉄道が通じている軽井沢駅周辺が地域の新たな交通の中心となり、次第にこれを「新軽井沢」と呼ぶようになりました。これに対し軽井沢宿の旧道界隈を「旧軽井沢」と呼ぶようになり、今に至っています。
軽井沢銀座(帰路)
聖パウロカトリック教会鐘
聖パウロカトリック教会
諏訪神社境内
諏訪神社社殿
諏訪神社手水舎
諏訪神社参道
道祖神
諏訪神社鳥居足元
軽井沢会テニスコート
ショーハウス玄関
日本聖公会ショー記念礼拝堂案内板
日本聖公会ショー記念礼拝堂
日本聖公会ショー記念礼拝堂入口
芭蕉句碑
芭蕉句碑
朝の軽井沢銀座
駅舎旧軽井沢
軽井沢銀座入口
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