山悠遊-長野県
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
クリックで拡大
まつもとじょう ルート 松本城P(12:40)〜城内散策(12:50/14:50)
〜旧開智学校(15:15/15:30)〜松本城P(15:45)
松本城
地  域 20:松本/北東C 概要 松本城は、桃山末期〜江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されています。松本城と呼ばれる以前は、深志(ふかし)城と言われていました。市民からは別名:烏(からす)城とも呼ばれていますが、文献上には烏城という表記はないそうです。築城主:小笠原貞朝、石川数正・康永父子、遺構:現存天守・石垣・土塁・堀・二の丸土蔵。永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏が林城の支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれます。武田氏による信濃侵攻により、松本盆地を支配下に置き、武田氏滅亡後は、転変の後、徳川家康の麾下(きか:旗本)となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名しました。小田原征伐の結果、徳川家の関東移封に伴い、石川数正が入城し、その子康長と共に天守を始め、城郭・城下町の整備を行います。以降、松平家や水野家などの松本藩の居城として機能。
Mapion 長野県松本市丸の内
標  高 590m/590m=0m
距  離 約―km、斜度:max―゜
体力度 ―P、☆
山行日 2016.11.04、(晴)
形  態 前泊、3名
時  間 所要01:30/歩行―
アクセス 自家用車、05:00
備  考 特に支障なし
天守2階月見櫓から東側本丸を見る
天守2階月見櫓から南側を見る
天守:本丸東側面
天守:本丸東側面遠景
クリックで拡大
開智学校右正面 詳細はこちらから
天守南西側面
黒門一の門(帰路)
クリックで拡大
きゅうかいちがっこう 概要 旧開智学校は、明治時代初期の洋風校舎です。文明開化時代の小学校建築を代表する建物(重文)として、広く知られています。明治9年(1876)4月に、全久院跡地に新規造営となった校舎が、現存する旧開智学校校舎です。地元出身で大工棟梁の立石清重が、設計施工を担当した擬洋風建築です。建設に当たり、どの建物を参考にしたかが判明している点で、開智学校は擬洋風建築の中でも重要な建物とされています。
旧開智学校
地  域 20:松本/北東N
Mapion 長野県松本市開智2丁
山行日 2016.11.04、(晴)
太鼓門と外堀
太鼓門二の門左正面 詳細はこちらから
太鼓門二の門背面
本丸と二の丸を分ける堀
黒門二の門背面(帰路)
天守最上階小屋組
天守2階月見櫓から北側本丸を見る
天守:本丸北側面
天守:本丸東北側面近景
案内板
黒門二の門 詳細はこちらから
黒門一の門
天守南側面
天守北西側面、埋橋(うずめばし) 詳細はこちらから
山聲-TOP