けんとくさんえりんじ | ルート | 恵林寺P(13:40)〜総門(13:50)〜四脚門 〜三門(13:55)〜庫裏・方丈〜墓所 〜庭園(14:15)〜恵林寺P(14:30) |
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乾徳山恵林寺 | |||
地 域 | 19:塩山/北東W | 概要 恵林寺は、宗派:臨済宗妙心寺派、本尊:釈迦如来、創建:元徳2年(1330)、開基:夢窓疎石。鎌倉時代、甲斐国の守護職であった二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされます。恵林寺は甲斐における臨済宗の中心となり、後には足利義満により鎌倉禅林十刹に準ずる寺格を与えられました。応仁の乱で荒廃しますが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興し、隆盛します。天正10年(1582)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により武田氏は滅亡します。織田軍は、恵林寺に逃げ込んだ武田勢の引渡しを要請するが、寺側が拒否したため、織田軍は恵林寺を焼き討ちにしました。この際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と発して火定したと伝わります。織田信長死後、徳川家康は甲斐国を領し、武田遺臣を庇護し、恵林寺を再建しました。四脚門(重文)、庭園(史跡)などが見所。 | |
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山梨県甲州市塩山 | ||
標 高 | 455m/455m=0m | ||
距 離 | 約―km、斜度:max―゜ | ||
体力度 | ―P、☆ | ||
山行日 | 2016.11.02、(晴) | ||
形 態 | 前後泊、3名 | ||
時 間 | 所要06:30/歩行― | ||
アクセス | 公共交通、06:30 | ||
備 考 | 特に支障なし |