| みみじんじゃ |
ルート |
彌美神社(13:20/14:00) |
| 彌美神社 |
| 地 域 |
18w:早瀬/南東S |
概要 彌美神社は、祭神:室毘古王(むろひこのみこ)、合祀:建御雷神(たけみかづちのかみ)・天兒屋根命(あまのこやねのみこと)・布都主神(ふつぬしのかみ)・比淘蜷_(ひめのおおかみ)・大山祇命(おおやまづみのみこと)、社格:県社、境内社:二十八所社・天満社、本殿の様式:流造り覆屋覆壁付。彌美神社は、江戸時代まで「二十八所大明神」と呼ばれていましたが、明治2年(1869)に「彌美神社」と復称して現在に至っています。神社は、長い参道があり、境内から西側約750mに社号碑が建っているなど、広い信仰が窺われます。また、古くから領家・国主・武家の崇敬も厚く、小浜藩主の酒井正勝が京極忠高が崇敬しています。何でもご利益があるとされ「全ての願いが叶う神社」とも言われています。5月1日の例大祭で奉納される「王の舞」は、福井県の無形民俗文化財に指定されています。神宮寺として園林寺が隣接しています。 |
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福井県美浜町宮代 |
| 標 高 |
59m/48m=11m |
| 距 離 |
― |
| 体力度 |
―、Θ |
| 山行日 |
2025.11.26、(雨/曇) |
| 形 態 |
後泊、3名 |
| 時 間 |
所要00:40/歩行00:10 |
| アクセス |
自家用車、02:20 |
| 備 考 |
特に支障なし |
彌美神社と園林寺(おんりんじ)との関係
園林寺は、宗派:高野山真言宗、山号:幡山、本尊:十一面観音、創建:伝・弘仁元年(810)、開創:伝・道善斎が調停に奏請し麻生朝臣国忠に勅命があり造営、寺格等:彌美神社の別当寺(神宮寺)
園林寺は、彌美神社の隣接地に立ち、神宮寺の関係にあります。嘉禄2年(1226)に彌美神社が再興されて、園林寺の下に入り、守護者的性格を与えられるようになったとされ、荘園制の進行によって園林寺勢力下から二十八所宮として再興という形になったのだといわれます。元々の彌美信仰である民俗信仰は、これにより押しやられ地主神となっていったのだとされます。ただ荘園領主は、延暦寺常寿院で天台宗。園林寺の真言宗とは違います。それでも彌美神が地域の自然神としていたために、荘園鎮守社として受け入れたのだといわれます。
永禄五年(1562)の記録に、延暦寺常寿院が信仰の中心として、二十八所宮を荘園機構に取り込んでおり、天台宗の延暦寺常寿院(荘園領主)と真言宗の園林寺(二十八所宮)は、宗派を超えて結びついていたとされ、延暦寺常寿院からすれば、二十八所宮(園林寺)を信仰の中心として、地域の支配に利用していたのだといわれます。
長床、二の鳥居背面
拝殿前石畳
拝殿前の御神木
本殿覆屋右側面
拝殿向拝に龍の彫刻額、※写真クリックで拡大
吐水龍
手水場
手水舎
二の鳥居背面
二の鳥居中景
一の鳥居
周囲は田園地帯。宮代から農道を東へ進むと、参道入口にある大鳥居が目に入ります。境内の階段の上に、拝殿があり、その左右には、巨木が聳えています。伝えによると、大宝2年、伊勢の内外宮を祀り、後に、二十六柱の神を配祀したため、二十八所大明神と呼ばれるといわれます。社殿には、月星の紋が付いています。地元の伝承では、かつては西方0.5kmの「逢の木」という場所にあり、旧跡地を示す石碑が立っているそうです。
二十八所大明神とは以下の神々を指していわれます
丹生大明神、伊勢大神宮、北野大明神、加茂大明神、平野大明神、稲荷大明神、春日大明神、
大原野大明神、松尾大神、石上大明神、大和大明神、廣瀬大明神、龍田大明神、住吉大明神、
梅宮大明神、吉田大明神、廣田大明神、祇園大明神、石清水大明神、氣比太神宮、熊野大権現、
金峯大権現、白山大権現、熱田大明神、十禅師、上下大明神、日吉大権現、三輪大明神。
(※異説として北野・松尾・石清水の神に対して八幡大菩薩・四大神・南無天神の説もあります)
一の鳥居正面(帰路)
境内に咲くフユザクラとカリンの実
境内に咲くフユザクラ
二の鳥居側面(帰路)
長床、二の鳥居側面
拝殿前からの長床、※左の甍は園林寺
隣接する園林寺
古札納所
「神社造営工事記念碑」石碑、※写真クリックで拡大
本殿覆屋左側面
「彌美神社略由緒」案内額、※写真クリックで拡大
拝殿正面
拝殿中景
二の鳥居からの拝殿中景
駐車場からの境内
境内案内板、※写真クリックで拡大
二の鳥居背面中景
二の鳥居側面
二の鳥居神額『彌美神社』
二の鳥居、奥に拝殿
一の鳥居からの参道
一の鳥居背面、※ここから先の約0.5km村はずれに社号碑が立っています
旅悠遊-福井若狭
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき