りっしゃくじ(やまでら) ルート 山麓駐車場(14:00)〜根本中道〜せみ塚(14:35)
〜仁王門〜奥の院(14:55)〜五大堂(15:10)
〜せみ塚〜立石寺本坊〜山麓駐車場(15:45)
立石寺(山寺)
地  域 06:山寺/北西E 概要 立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院、本尊は薬師如来。詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称します。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来より悪縁切り寺として信仰を集めます。寺伝では、創建は貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされています。その後、たびたびの火災により記録が焼失し、鎌倉以後は戦乱の影響をうけて衰退。正平11年(1356年)、山形初代城主斯波兼頼が山形に入部したとき、立石寺は山形の鬼門(北東)に当るので、山形の守護神として根本中堂を再建したと伝えられています。元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが『おくのほそ道』に書かれています。あまりにも有名な名句、「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んでいます。奥の院まで1015段の石段があり信仰の力なのでしょうか、体を押し上げてくれます。
Mapion 山形県山形市山寺
標  高 400m/230m=170m
距  離 約--km、斜度:max--゜
体力度 --P、☆
山行日 2009.10.16、(晴)
形  態 前後泊、3名
時  間 所要01:45/歩行01:30
アクセス 自家用車、11:00
備  考 特に問題なし
山内案内図(現地看板)
印は紹介施設
下山口、宮城県堺の山が望めます
抜苦門背面
奥の院への階段から開山堂への平らな参道
五大堂
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開山堂
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納経堂
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百丈岩
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納経堂が建つ百丈岩と開山堂および五大堂
百丈岩(入定岩とも)の絶壁の頂に建つ納経堂は
立石寺一山の衆徒が奥の院(加法堂)で書写した経文を安置するところで
納経堂の真下は入定窟(にゅうじょうくつ)という岩です
そこには慈覚大師のご遺骸を金棺に納め安置されています
上の写真の断崖絶壁に建っている納経堂は
写経を納めている所で山内ではもっとも古い建物
なごりの胎内堂スケッチ
かつて、山内の岩に開いた穴の中で僧たちは修行をしたとされます
岩群は凝灰岩と安山岩からなっています
小東岳
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五大堂からの南東側展望:宮城県堺の峰が望めます
この奥に二口渓谷
    二口峠
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瀬ノ原山
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この奥に二口渓谷
    二口峠
      ↓
小東岳
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ここにも二口渓谷の磐司岩と同じ
岩壁が見えます
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開山堂:慈覚大師の御廟
1100有余年絶えることなく、今もなお香煙が漂います
立石寺の開山・慈覚大師は、名を円仁といい
大師号は清和天皇から日本で最初に賜わったおくリ名です
参道からの行場:奇観とも言うべきでしょうか、奇岩怪石が連なるこの独特の景観
 ゆえに、立石寺はより聖域化されたのでしょうか
山寺山内各所にある洞窟、岩陰には多数の木製小型五輪塔、こけら経、笹塔婆、千体仏、小型板碑などが、なかば土に埋もれて納められていいます。このようなことから山寺は、古くから庶民信仰の山、先祖供養の山として栄え、天台宗の名刹よりも、むしろ死後の魂のかえるべき山として信仰の対象となり、この地方の多くの信仰をあつめたものである・・・・、と伝えられています
香場
奥の院鐘楼
松島・瑞巌寺の住職の書かれた「霊鷲道場」の額が掲げられています
慈覚大師が中国で修業中に持ち歩いたと伝えられる「釈迦如来」と「多宝如来」を本尊としています
奥の院は、平たく言えば
参道の最終地点であるということから奥の院・・・・
講釈が背後から聞こえてきました
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奥之院(通称)、正しくは如法堂、明治5年再建
奥の院下広場
さらに階段を上ってゆきます
左右に安置する仁王像は運慶十三代の後裔平井源七郎の作と伝えられています
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山門:鎌倉時代(700年)、「開北霊窟」の扁額をくぐって入山
鐘楼と念仏堂:共に鎌倉時代に建立
鐘楼の鐘は、招福の鐘として知られます
岩上に建つ祠
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釈迦堂望遠
慈覚大師が東北地方で建立した寺は
嘉祥1-2年(848-850)、岩手県平泉に毛越寺(当時金剛院)
嘉祥3年(850)に中尊寺(当時弘台寿院)、仁寿3年秋田県象潟に蚶万寺
天安2年(858)福島県伊達に霊山寺、貞観元年(859)青森県恐山に円通寺、更に
貞観2年(860)山形県に清和天皇の勅願所・山寺(宝珠山立石寺)を開創されました
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迦ヶ峰の頂上釈迦ヶ岩の上に建つ釈迦堂
現在は一般人の立ち入りは許されず
修行僧のみ立ち入ることの出来る修練の場です
五大堂からの東側展望
参道階段
遥拝望遠
釈迦堂
開山堂
納経所
門前を流れる立谷川からの山寺遥拝
開山堂
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修行の岩場、またの名を釈迦ヶ峰と称されます
危険な岩場を通り、お釈迦様の許に至るそうで
出世や欲望のために登る者は
転落死するという言い伝え・・・・
現在は修行者以外の登山は禁止となっています
五大堂内部
開山堂と納経堂:唯一の平らな参道からスケッチ
胎内堂:現在は一般参拝者は通行止め
釈迦が峰に立つ釈迦堂:容易に近づけません
行在所前の参道から岩越に納経堂
記念殿:大正天皇(東宮時)が行啓行在所
奥之院下の広場から階段俯瞰
岩窟の中に三重の小さな堂が納められています、重要文化財
三重小塔が納められている岩窟
奥の院の前にある青銅製の灯籠
金華山・金比羅山の灯籠とともに日本三灯籠に数えられています
奥の院の扁額『霊鷲道場』
仁王門を額縁として、石段はさらに上へと・・・・、奥の院まではあとすこし
仁王門:嘉永元年(1848年)に再建されたケヤキの門で、左右には仁王尊像が安置されています
せみ塚
姥堂(うばどう):この堂から下は地獄で、上は極楽を指しているという・・・・、とか
一段一段、ゆっくりと登ります
寺の案内書には、欲望や汚れを払い落とし・・・・、とありますが
根本中堂:国の重要文化財
東北唯一の宗門修行道場で、ブナ材の建造物としては日本最古ともいわれています
釈迦堂
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抜苦門:この門の先に本坊
参詣者の全ての苦悩を抜けるという意でしょうか
弥陀洞(帰路)
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大仏殿(左):平成3年建立、奥の院(右)
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弥陀洞(みだほら):長い歳月が直立した岩を削り、阿弥陀如来の姿をつくりだした(看板)
仏の姿を見ることができる人は幸が訪れるとか・・・・
山形に山寺あり。芭蕉の句で、あまりにも有名で多くの参拝者(観光客)の訪問を受けます
編集子もその内の一人、山岳寺院の佇まいをカメラに収めようとしたのですが
観光客のカメラの列、多くて・・・・
山寺史跡名勝案内図
せみ塚(帰路)
開山堂前の平らな参道から奥の院方向
左側に磐司祠、岩の上に建つ祠の左の岩に岩洞がありそのなかに祠があります
スケッチから外れているのが残念、奥は五大堂
五大堂:宝珠山を守る五大明王が安置され天下泰平を祈る道場です
納経堂
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山内の特有である凝灰岩の岩肌には、板碑型の供養碑などがきざまれています
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奥の院まで1015段あるといわれます、数えてはいませんが・・・・
案内図
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五大堂
   ↓
五大堂の舞台からの景色の眺めは素晴らしく、山寺随一の展望だと思います
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
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山悠遊-山形山寺