探訪記-山形庄内
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき
ほんまけきゅうほんてい 概要 本間家旧本邸は、幕府巡見使一行を迎えるための本陣宿として明和5年(1768)に新築し、庄内藩主酒井家に献上された旗本2000石の格式を持つ長屋門構えの武家屋敷です。巡見終了後、屋敷を酒井家から拝領し、代々本間家の本邸として使用されました。桟瓦葺平屋建書院造りで、武家屋敷と商家造りが一体となった建築様式です。周囲には樹木をうえ、蔵や土塀などの防災上の配慮がなされています。本間美術館が関連施設としてあります。
本間家旧本邸
地  域 06:酒田南部/北東N
Mapion 山形県酒田市二番町
山行日 2015.09.14、(晴)
玄関前の松
酒田本間氏は佐渡本間氏の分家で本間家と通称されます。酒田市を中心に、農地解放による解体まで日本最大の地主でした。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌も詠まれるほどの栄華を誇っていました。
江戸時代初期、元来は海運商人であったが金融業にも進出し収益を土地の購入にあて田地を拡大していったほか、庄内藩や米沢藩の財政改革を支えました。またこの際には、300石の士分格となり、さらには北前船交易の隆盛もあり三井家・住友家に劣らぬ大商家となりました。明治維新後も、引き続き日本最大級の大地主ではあったものの、起業・興業にはあまり執心せず、財閥化することなく、一地方企業家にとどまり、インフラ整備などに貢献し、酒田の近代化に尽力しました。
本間家本邸別館
東門(薬医門) 詳細はこちらから
東側長屋腰板
南側長屋腰板
南側長屋
庭園裏木戸門背面
手水鉢
庭 園
↑通用門背面
庭園通用門を額縁にして
七社の宮:軒天
七社の宮門 詳細はこちらから
社は、天下泰平五穀豊穣酒田繁栄のため
明和3年(1766)、三代当主が各社の神霊を勧請し建立
↑七社の宮門
七社の宮
↑腰掛待合
↑東門
東門↑
玄関前
↑庭園通用門
正門(長屋門) 詳細はこちらから
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