しゅえんかんじょうどり ルート 朱円環状土籬:朱円ストーンサークル(13:50/14:20)
朱円環状土籬
地  域 01e:斜里/北東NE 概要 朱円環状土籬は、約3000年前(紀元前1,200年頃)、縄文後期の史跡です。標高16mの緩やかな斜面上にあり、国の史跡にもなっています。ヨーロッパやシベリア大陸にあるような、大きな立石をめぐらした環状石籬(ストーンサークル)に、似ていることから、朱円ストーンサークルと呼ばれ、日本では類例が少なく学術的価値が非常に高い遺跡といわれています。長い間、環状土籬(かんじょうどり)と呼ばれてきましたが、発掘調査の結果、同様な遺跡のすべてが、古代人の「墓」であることが判明したため、現在では「周堤墓」と呼ばれています。朱円(しゅえん)というのは地名で、明治時代には朱円村(シュマトカリ)と呼ばれていました。この斜里町にて発見されている縄文時代の遺跡はなんと700箇所以上あると言いわれます。普段、生活した住居の場所と違うところに墓を構築しており、周堤内の地表面に大小様々な石を敷き詰めて、その下が墓となっています。
Mapion 北海道斜里郡斜里町
標  高 17m/16m=01m
距  離 約―km、斜度:max―°
体力度 ―P、Θ
山行日 2020.10.21、(晴)
形  態 後泊、3名
時  間 所要00:30/歩行00:20
アクセス レンタカー、釧路〜04:30
備  考 特に支障なし
B号石墳
A号土籬
東側風景
南側風景
A号石墳
A号土籬
クリックで拡大
クリックで拡大
「斜里朱円周堤墓群」案内板
東側風景
南側風景
B号土籬
A号石墳
A号石墳
A号土籬
墳墓入口
少なくとも20基以上の配石墓があったようですが、開墾にて多くの石が持ち出されているため、現在、見受けられるのは残っているだけの部分となります。これらの墳墓からは、人骨のほか、土器や石器、両頭の石棒、漆器残片や玉類などの副葬品も見つかっており、知床博物館で常設展示されています。なお、墳墓から出土した土器は、東北地方からもたらされた文様を持つため、縄文時代の後期には東北地方の文化的影響が、道東まで及んでいたものと推定されています。朱円ストーンサークル(朱円周堤墓)は大変貴重な事から、ユネスコの世界遺産登録をめざしています。
B号土籬
A号石墳
「朱円環状土籬」案内板
山聲-TOP
旅悠遊-北海道道東
歩ッ歩ッ歩:山もゆる、一歩一歩の山あるき